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君子は、怒りも怨みも留めぬ――弟を富貴にする「真の親愛」
舜は、自身を何度も殺そうとした弟・象を罰するどころか、有庳(ゆうひ)という国に封じて君にした。その姿勢は一見、不公平にさえ見えるが、孟子は言う――それこそが仁の極みなのだと。君子は怒りを隠さず、怨みを心に留めず、ただ「親愛」に徹する。愛す... -
君子は道に従って信じ、偽らずに喜ぶ
孟子は、舜が弟・象の言葉に「本当に」喜んだ理由を、道理の視点から説明する。人の言葉が道にかなっているかどうかが、信じるか否かの分かれ目である。たとえ相手が裏で欺いていたとしても、表向きに「兄を慕って来た」という言葉が道理にかなっていれば... -
殺意さえも超える情――兄弟を憂い、兄弟と共に喜ぶ舜の心
孟子は、舜の兄弟愛を極限まで描いたエピソードを通じて、人間としての深い情の在り方を説いた。父母と弟象に命を狙われたにもかかわらず、舜は象に怒らず、憎まず、なお兄としての思いやりをもって接し続けた。象が喜べば共に喜び、象が悲しめば共に悲し... -
人としての道を守るため、時に「告げない勇気」も孝の一つ
孟子は、舜が父母に結婚を告げずに妻を迎えた理由を、人としての「大倫(たいりん)=根本的な道徳」に照らして語った。親への敬いはもちろん大切だが、それによって人生の本質的な営み(結婚)を妨げ、かえって親を怨むようになるならば、本末転倒である... -
親に愛されずとも、なお慕う――舜に見る「大孝」の心
孟子は、舜の姿を通して「大孝」とは何かを語った。人は成長に応じて、慕う対象が親から恋人、家族、君主、名声や地位へと移ろう。だが、舜はその生涯を通じて父母を慕い続けた。帝堯がすべてを授けようとしても、どれほどの富貴や美女を得ても、それは舜... -
目をくらませる富貴の幻想――その背後にある恥を知れ
孟子は、名誉や成功ばかりを追い求める人々の姿を、ある一人の斉人の行動にたとえて説いた。表面上は華やかに見えても、その実態は人知れず墓場の残り物で飢えを満たすような、見苦しくも哀れなものかもしれない。真の品位とは、富貴を得ることにではなく... -
親を怨むことなく、なお慕う――舜のまごころ
孟子は、万章との対話の中で、舜が天に向かって号泣した理由について語る。親に愛されないことへの「怨み」――それは、恨みではなく、なお慕う切ない気持ちの表れだった。ただ職務を果たせばよいという冷淡な姿勢ではなく、たとえ報われぬ親子関係であって... -
富貴利達ばかりを求めて生きる人にはなりたくない
富や地位ばかりを追いかける人生は、まやかしの虚像に過ぎない 孟子が語るのは、斉の国にいた一人の“虚勢を張る男”の寓話的エピソードです。 この男は、一人の妻と一人の妾と共に暮らしていた。彼は外出すると毎回、酒や肉で満腹になって帰ってきた。妻が... -
聖人といわれる人も同じ人間である
聖人は特別な存在ではなく、人間の可能性の象徴である 斉の国の儲子(ちょし)が孟子にこう尋ねる: 「わが国の王(斉王)が、人をやって先生の様子をひそかに見させています。それは先生が“人と異なるところがあるか”を確かめようというのです。先生は、... -
自分の先師筋の行動をよく理解する
行動は異なれど、“道”は一つ――曾子と子思の選択をどう見るか かつて、子思(しし/名は伋〔きゅう〕。孔子の孫、曾子の弟子であり孟子の先師の一人)は、衛の国にいた。 その地に斉の侵略軍が迫った際、ある者が子思に問う: 「敵が来ました。なぜ立ち去ら...