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技と徳、始まりと終わり――孔子は集大成のリーダー
孟子は、孔子を「集大成の聖人」とした上で、その意味を音楽と弓術の比喩を通じて説明する。始まりを正しく導くには智(ち)=技巧が必要であり、終わりを美しくまとめるには聖(せい)=力=人格の力が求められる。孔子はその智と聖、技巧と力、調和の発... -
清廉・責任・調和――すべてを調和した聖人、孔子こそ「集大成」
孟子は、伯夷(はくい)・伊尹(いいん)・柳下恵(りゅうかけい)という三人の聖人をそれぞれの美徳の代表として位置づけ、それらをすべて兼ね備えた人物こそが孔子であると語る。孔子は、時に応じて進退・交際・仕官の是非を判断し、一つの徳に偏らず、... -
その時その場にふさわしく――孔子の柔らかな進退の道
孟子は、孔子の進退を例に、「状況に応じて自然にふるまうことこそ、聖人のあり方である」と語る。斉(せい)の国では、炊飯中の米を手でかき出してまですぐに立ち去った。一方、生まれ育った魯(ろ)の国を離れる際には、「遅遅として吾行く」と、ゆるや... -
他人がどうであれ、自分の道を正しく歩む――柳下恵の潔い生き方
孟子は、柳下恵(りゅうかけい)の生き方を通じて「自分の信念を曲げずに世俗と向き合う態度」の典型を示す。たとえ君主が不正であろうと、それを恥とせず、官が低かろうと受け入れる。自らの才徳は隠さず尽くしながらも、志を曲げることなく、人に捨てら... -
先覚者として生まれた使命を果たす――伊尹の自覚と責任
孟子は、伊尹(いいん)の言葉を通じて「先覚者とは何か」を力強く描く。伊尹は、天下が治まっていても乱れていても、堯舜(ぎょうしゅん)の道を広め、民を導くために自ら進んで仕えた。彼は「私は天が民のために遣わした先覚者である」と自任し、一人で... -
伯夷の風に触れれば、誰もが心を正す
孟子は、伯夷(はくい)の清廉潔白な生き方を称え、その人格に触れるだけで欲深な者も清くなり、臆病な者も志を立てるようになると述べた。伯夷は、ただ不正を避けたのではなく、時勢に応じて進退し、礼をもって交際の是非を定める徹底した人倫主義者であ... -
検証なき噂は信じるに足らず――百里奚の「賢」と「恥」をめぐって
孟子は、百里奚(ひゃくりけい)が羊皮五枚で身を売り、牛飼いとして秦に仕官したという俗説をきっぱり否定する。百里奚は、諫言が通じぬ君主を見限り、七十の老年で秦に去った人物。その判断力と時勢観、恥を知る品格を備えた「賢者」であり、自己を売っ... -
人の価値は、誰と交わるかで見えてくる
孟子は、孔子が災難に遭っても節義を保ち、身を寄せる相手を選んだことを例に、**「人を見るには、その人が誰と付き合うかを見よ」**という古人の知恵を説く。もし孔子が、本当に腫物医者や宦官に身を寄せていたならば、彼の聖人としての価値など無に等し... -
礼と義をもって仕え、天命を待つ――孔子の潔い進退
孟子は、孔子が仕官のために卑しい者の家に身を寄せたという俗説を否定し、その生き様がいかに「礼」と「義」にかなっていたかを語る。孔子は進んで仕えるときには礼に外れず、退くときにも義を忘れなかった。だからこそ、地位や成功の有無は自分の意志で... -
世を正すには、まず己を正す――潔き身こそ聖人の根本
孟子は、他人や天下を正そうとする者が、まず自らの行いを潔くすることが前提であると明言する。どれほど偉大なことを成すにしても、身を辱めたり道義に反する手段を取ってはならない。そして伊尹の逸話を引きつつ、「料理人として取り入った」などという...