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人を用いるには、まずその人を見る目を養え
原文 子謂子夏曰、女爲君子儒、無爲小人儒。 書き下し文 子(し)、子夏(しか)に謂(い)いて曰(いわ)く、女(なんじ)、君子(くんし)の儒(じゅ)と為(な)れ。小人(しょうじん)の儒と為る無(な)かれ。 現代語訳(逐語/一文ずつ訳) 子、子夏... -
「できない」のではなく、「やめている」――限界を決めているのは自分自身
孔子の弟子・冉求(ぜんきゅう)は、あるときこう言った。 「私は先生の教えに感動し、それを喜んで学んでおります。ですが、自分には力が足りず、ついていけません」 それを聞いた孔子は、明確な言葉で返した。 「もし本当に力がないのであれば、やがて道... -
貧しくとも学びを喜び、志を曲げない――それが本当の賢さ
孔子は弟子・顔回(がんかい)について、何度も深い敬意をもって語っているが、ここでもその人柄を賞賛してこう述べた。 「顔回は本当に立派な人間だ。一簞(いちたん)の粗末な食事、一瓢(いっぴょう)の水で暮らし、狭くて汚い路地裏の家に住んでいる。... -
運命に逆らえなくとも、惜しむ心が人の情
孔子の弟子・伯牛(はくぎゅう/冉伯牛)が重い病にかかったとき、孔子はその見舞いに訪れた。 窓の外から手を差し入れ、伯牛の手をしっかりと握りしめて、孔子は悲痛な言葉を繰り返した。 「こんなに立派な人が、こんな病にかかるなんて……これが天命とい... -
人の力はそれぞれ異なる――だからこそ適材適所が必要だ
魯国の権力者・季康子(きこうし)が、孔子に尋ねた。 「仲由(ちゅうゆう=子路)は政治を任せるにふさわしいでしょうか?」 孔子は答えた。「子路は果断(かだん)にして勇気があり、決断力に富んでいます。政治を行うのに何の不足もありません」 次に「... -
仁を持ち続けること、それこそが最も困難で尊い道
孔子は、最愛の弟子・顔回(がんかい)の徳を称えるなかで、次のように語った。 「顔回は、何ヵ月ものあいだ、心が仁(じん)から外れることがなかった。だが、他の者たちはというと、仁の心を保てるのはせいぜい一日、あるいは一月といったところである」... -
生まれではなく、自分の行いが自分を決める
孔子は弟子の仲弓(ちゅうきゅう)に向かって、印象的なたとえを用いて語った。 「たとえその牛が、祭祀に使われない雑種(犂牛)の子であっても、赤く美しい毛並みと立派な角を備えていれば、たとえ誰かがそれを使わないと決めても、山や川の神々が見逃す... -
金の使い方にこそ、人の品格があらわれる
孔子の門弟・子華(し か、公西赤)は斉(せい)に使いに出かけた。彼の不在中、別の弟子である冉子(ぜんしゅう)は、子華の母への留守手当を先生に願い出た。孔子は「釜(ふ)一杯分の米(約五升七合)を」と指示したが、冉子はもっと多くと求めたため、... -
怒りを他人に向けず、過ちは繰り返さない――真の学び舎は心にあり
魯の哀公が、「弟子のうちで誰が最も学問を好んだか」と尋ねたとき、孔子はためらいなく顔回(がんかい)の名を挙げた。 顔回は、どんなに怒っても他人に当たり散らすことがなく、同じ過ちを繰り返すこともなかったという。まさに学問を心から愛し、日々の... -
自分には慎みを、他人には寛大さを
孔子は、弟子の仲弓(ちゅうきゅう)について、「彼は政治を任せられる器である」と称えた。その仲弓が、ある人物(子桑伯子)のことをどう思うかを尋ねたところ、孔子は「おおらかな人物であろう」と答えた。これに対して仲弓は、「自分に対しては慎み深...