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己に恥じることがなければ、憂いも恐れもない
孔子は、真の君子とは「心にやましさがない人」だと説く。だからこそ、憂うことも恐れることもない。君子の落ち着きや強さは、外から来るものではなく、内省と誠実な行いによって築かれるのである。 解説 司馬牛が「君子とは何か」と問うと、孔子は「君子... -
仁の人は、行いが先。言葉は慎み、重みをもって語る
孔子は、仁ある人は言葉に慎みがあると語る。それは、まず行動で示すことを重んじ、実践を経てからでなければ言葉にしないという心構えによるもの。軽々しく語らず、誠実さと慎重さを大切にするのが、仁の本質である。 解説 弟子・司馬牛が仁について問う... -
仁とは、相手を敬い、自分の望まぬことを他人にしない思いやり
孔子は、仁の実践とは「人に対して敬意と思いやりを持って接すること」であり、他人にされて嫌なことは自分もしない、という慎みの心だと説く。この態度があれば、社会に出ても家庭の中でも人から恨まれることはない。 解説 弟子・仲弓が仁について問うと... -
仁とは、自分に克ち、礼に立ち返ること
孔子は「仁(じん)」を尋ねた弟子・顔淵に対し、仁とは「克己復礼」——自分の私欲に打ち克ち、礼の精神に立ち返ることだと答えた。もし一日でもこの実践ができれば、天下に仁の影響が広まる。それは自分の内面次第であり、他人がどうこう言うものではない... -
志は人それぞれ、師はそれを温かく見守る
夢のかたちが違っても、それぞれが大切な志 ある日、孔子の弟子である子路(しろ)、冉有(ぜんゆう)、公西華(こうせいか)、曾晳(そうせき)の四人が孔子の側に座していた。 孔子は言った。 「私が君たちより少し年長だからといって遠慮することはない... -
言葉巧みに正当化するな――真の学びは軽くない
現実を盾に、未熟を任せてはならない 孔子の高弟・子路(しろ)は、季氏(きし)の執事を務めていたとき、後輩である子羔(しこう)を、費(ひ)の町の代官に推薦しようとした。 それを聞いた孔子は、すぐに反対した。 「そんなことをすれば、まだ学びの途... -
忠臣を使いこなせぬ者に、彼らの価値はわからない
見識のない者が賢臣を持ち上げることほど、聞いていてつらいことはない 魯国の大夫、季子然(きしぜん)は、孔子にこうたずねた。 「最近、自分が召し抱えた仲由(子路)と冉求(ぜんきゅう)は、大臣にふさわしい人物でしょうか?」 この問いを聞いた孔子... -
師を残して、弟子が先に死ねようか
命の危機の中でこそ、師弟の絆が試される 孔子が匡(きょう)の地で、誤解から兵士たちに包囲され、命の危機にさらされたことがあった。この混乱の中、愛弟子の顔淵(がんえん)は一行とはぐれて行方不明になってしまう。 やがて、顔淵が遅れて追いついて... -
性格に応じて導く、それが本当の教え
同じ問いに違う答え――孔子の教育は“人を見て法を説く” 子路(しろ)が孔子に尋ねた。「良いことを聞いたら、すぐに実行すべきでしょうか?」 孔子はこう答えた。「君には父兄がいる。どうして彼らの意見も聞かずに、すぐ行動してよいだろうか」 次に、冉有... -
言葉が立派でも、心まで立派とは限らない
語ることと、真に優れていることは別の話 孔子はあるとき、弟子たちにこう語った。 「言葉が立派で、論じる内容がもっともらしいというだけで、その人を“君子”だと決めつけてはならない。その人物が本物の君子なのか、それとも見かけだけを装った“色荘(し...