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君と賢者は友にあらず――地位と徳の秩序をわきまえる
位によって上下が定まる関係において、君主と臣下が「友」となることはあり得ない。しかし、徳によって上下が逆転するならば、君主であっても賢者を師として敬うべきであり、ましてや呼びつけてはならない。 孟子は、魯の繆公(ぼくこう)が子思にたびたび... -
賢者は呼びつけるものではない――礼にかなう距離と気高さ
たとえ王や諸侯であっても、真に賢者を敬うならば、自ら学びに行くべきである。賢者を「召す(呼びつける)」という姿勢は、敬意を欠き、不義である。孟子は、仕官していない庶人としての立場を貫き、礼に基づいて諸侯との面会を拒んだ。 万章は、なぜ諸侯... -
真に賢者を養うとは、形式ではなく敬意と実をもって遇すること
形式ばかりの贈り物や繰り返される儀礼は、賢者にとってわずらわしいだけであり、誠実な遇し方とは言えない。真に賢者を尊ぶならば、その才能が発揮できる環境と地位を与え、心からの敬意を行動で示すべきである。 孟子は、君主が君子を養いたいのなら、最... -
贈り物は敬意をもって、賢者を養うとは何かを問う
君主が賢者を遇するならば、単なる物のやりとりではなく、そこに敬意と理解が伴っていなければならない。もしも、それが形式的な施しにすぎず、心が通っていないのであれば、それは犬や馬を飼うのと同じことである。 魯の繆公(ぼくこう)は子思に対し、何... -
◆ 問題提起:士(知識人)が仕えぬ諸侯に身を寄せてよいのか?
万章の問い: 「士たる者が、仕えていない諸侯に身を寄せるのはなぜいけないのですか?」 孟子の答え: 「あえてそうしないものだ。なぜなら士が諸侯に身を寄せるのは礼ではないからである。」 孟子はここで、**立場や身分に応じた行動規範(礼)**を重視... -
◆ 概要:孟子が説く「仕える意味」と「職業倫理」
孟子は、「仕える(仕事をする)」という行為の本義は、生活の糧を得るためではなく、道義を実行するためであると述べます。しかし、現実としては「生活のために仕える」場合もあり得る、と理想と現実の両面を認めつつ、そこにおける心構えを正すのがこの... -
不義にも段階がある:すべてを盗人扱いするのは極論である
◆ 背景と主張 万章は「今の諸侯は民を追いはぎのように搾取している。そんな者からの贈り物を受け取るとは君子のやることか」と問う。これに対して孟子は、**「すべてを一律に盗人扱いするのは道理を極端に突き詰めすぎており、実際的ではない」**と説く。... -
出所が悪ければ、どれほど礼を尽くされても受け取ることはできない
孟子は、道にかなった交わりや礼儀を尽くした贈与であっても、その物が明らかに不正に得られたものであれば受け取ってはならないと断言する。礼節があっても、「義(正しさ)」が失われている場合は交際そのものが成立しない。 原文と読み下し(ふりがな付... -
恭をもって受ける――義を問いすぎて礼を失うな
孟子は、人と交わるうえで**最も大切な心構えは「恭」(うやうやしさ・慎み)**であると答える。これは特に目上との関係において重要であり、贈り物の受け取りにもその「恭」が問われる。 孟子の教えは、単なる上下関係のマナーを超えて、礼と義のせめぎ合... -
天子といえども、賢者には敬意を――「貴を貴ぶ」と「賢を尊ぶ」は同じ道理
孟子は、天子といえども、賢者を友として敬うべきであると説く。これは「権力者は人徳ある者を軽んじてはならない」という儒家の核心思想のひとつであり、舜と堯のエピソードを通して、それが最も高い立場にある者の「品格」の証であると示される。 原文と...