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自分の善行は忘れ、他人の恩は忘れぬ心を持つ
人にしてあげたことはすぐに忘れ、人にしてもらったことは忘れない。この逆を行うと、人の徳は損なわれ、心の美しさも曇っていく。 人に恩を施しても、それを記憶し誇るべきではない。逆に、自分がかけた迷惑は忘れず、反省し、改める気持ちを持つべきであ... -
自分の道を貫きながらも、柔軟に生きる知恵を持て
時代が安定している「治世(ちせい)」には、正義や原則を明確にして、揺るがぬ信念で生きるのがふさわしい。しかし、混乱した「乱世(らんせい)」においては、無理に筋を通そうとせず、状況に応じて柔らかく身を処することも大切だ。 そして、現代のよう... -
幸せとは、事件のない日々をありがたく思えること
人はしばしば「何があれば幸せか」と考えるが、本当の幸福とは、実は「何もないこと」にある。心穏やかに、波風立たぬ日常を過ごせること――それが何よりの福である。 一方、不幸の根源とは何か。それは「欲が多いこと」「心に思いが多すぎること」にある。... -
陰での行いが、やがて明るみに出る
病というものは、はじめは人の目に触れない体内の深部で起きるが、やがて必ず外にあらわれ、視力や聴力といった表面的な感覚にまで影響を及ぼす。肝が病めば目が見えず、腎が病めば耳が聞こえなくなるといった例は、古代中国の五行説に基づく知恵であるが... -
心の本質は、言葉や振る舞いににじみ出る
善人というものは、日常の行動や態度が穏やかであるのはもちろんのこと、眠っている時ですら、その魂までもがやすらかで、和やかな気配を漂わせている。その存在は、自然とまわりを和ませ、親しみを感じさせる。 一方で悪人は、行動や言動が乱暴で残虐であ... -
志を貫く者は、木石のように動じず、雲水のようにとらわれず
徳を高め、道を修めようとする者には、木や石のように微動だにしない「念頭」、すなわち固い心構えが必要である。それがなければ、地位や権力、財産、美色といった世俗の魅力に、一たび心を奪われてしまえば、あっという間にその“欲の世界”へ引き込まれて... -
幸せも慈悲も、遠くにはない。今ここにある
どんな人の中にも、大いなる慈悲――仏の心が宿っている。たとえそれが、菩薩と讃えられた維摩居士のような聖者であっても、あるいは牛馬を解体する者や、罪人の首をはねる者であっても、その本心には“二つの心”などなく、等しく慈悲の種が宿っている。 また... -
精神を一つに集中させ、まっすぐに進め
人格を高めたい、真に学問を身につけたいと願う者は、何よりまず精神を収めて集中し、その目標に向かって「一本道」でまい進すべきである。 もし「徳を修める」という本来の目的がありながら、途中で功績や名誉、他人からの評価といった世俗的な関心に心を... -
一歩進んで自分を磨き、一歩退いて人と和す
世の中で自分を立て、他の人から一目置かれる存在になろうとするなら、人より一歩高いところに抜け出し、一段上の視点と努力で自分を鍛え、磨かなければならない。そうでなければ、塵まみれの場所で衣を払い、泥の中で足を洗うようなもので、どれだけ気を... -
真に仁義を貫く者は、いかなる力にも屈しない
相手が富をもって威圧してきても、こちらは「仁」をもって応じる。相手が爵位や名誉、高い地位を振りかざしてきても、こちらは「義」、すなわち正しい道をもって対抗すればよい。 君子たる者は、たとえ君主や宰相のような権威者であっても、その言いなりに...