未分類– category –
-
天の目は誤らない——誠実な人には報いがあり、偽る人には罰がある
誠実で節操のある人格者は、自ら幸せになろうとあくせく求めず、静かに道を歩んでいく。その「無心さ」こそが美徳であり、天はその姿を見て、その人の真心に応えようとする。 反対に、心がねじれ、陰険な人は、自らの悪を隠しながら、うまく禍を避け、世渡... -
「天」にさえ屈しない覚悟——逆境を力に変える意志の力
もし、天が私に幸福を与えないという冷遇を与えるなら、私はむしろ自らの徳を深め、人格を磨いて、それにふさわしい幸福をつかみ取ってみせよう。 もし、天が私に身体的な苦しみを課してくるなら、私は心を穏やかに保ち、内面の平安によってその苦しみを補... -
志を立てたら迷わずに進め——見返りを求めた瞬間に、すべては濁る
もし「自分を捨てて、人のために尽くす」と決意したなら、その瞬間から、損得や打算といった迷いは、捨てておかなければならない。もし心の中に「それでも本当に良いのだろうか」という疑いを持ち続けるようであれば、その最初の志は、曇り、恥ずべきもの... -
本物の静けさ、本物の楽しさは「逆境」の中にこそ現れる
穏やかで静かな環境において、心を静かに保つことができても、それは状況によって作られた静けさであり、まだ“真の静”とは言えない。むしろ、喧騒の中でこそ心の静けさを保つことができたとき、初めてそれは「天性の静けさ」、つまり本性から湧き上がる静... -
静けさ・ゆとり・淡泊さの中に、自分の“ほんとうの心”があらわれる
人は、自分の心のことを最も知らない。だが、それを深く見つめ、本当の自分と出会うためには、以下の三つの時間が最も適している。 静かなとき: 考えが澄みきり、雑念が晴れたとき、 初めて「心の本体(しんたい)」がはっきりと見えてくる。 暇でゆと... -
迷いは早く気づいて正せば、禍が福に転じる——小さな逸れこそ、大きな分かれ道
ふと心に生じた考えが、私利私欲の方向へわずかでも向かっていると感じたなら、その瞬間に気づき、すぐさま正しい道理の方向へと引き戻さねばならない。 このように、迷いや誤りの芽を早く察知し、すぐに修正することで、本来なら災いとなるはずだったもの... -
暇なときこそが、未来の自分をつくる時間——陰の努力は陽の力となって現れる
時間に余裕のあるときでも、ただ何もせずにぼんやりと過ごさず、少しでも心を養い、知を積み、己を磨いておけば、いざ忙しくなったとき、その蓄積が生きてくる。 静かで何も起きない時でも、気を抜いてだらけることなく、心をしっかりと保っていれば、いざ... -
貧しくても、落ちぶれても、気品は保てる——それが人の品格を決める
みすぼらしい家であっても、庭先を丁寧に掃き清めていれば、豪華さはなくとも、そこに凛とした趣が生まれる。貧しい女性であっても、髪をきれいに整えていれば、華やかさはなくとも、そこに自尊心と美しさがにじみ出る。 同じように、君子たる者は、たとえ... -
清く、柔らかく、鋭く、穏やかに——すべての徳を調和させた人格こそ理想
人格は清廉であることが望ましい。だが、清廉すぎて相手を拒むようではなく、包容力をも併せ持つことが肝要である。 思いやりに富んだ仁者であることは尊い。だが、優柔不断ではなく、必要なときにはしっかりと決断できなければならない。 聡明であっても... -
心は風のように、雁の影のように——出来事が過ぎれば、執着せず心を空に戻す
風が吹き、まばらな竹に当たると、竹の葉はざわめき音を立てる。だが風が去れば、その音は消え、竹はもとの静けさを取り戻す。 雁が寒い澄んだ湖の上を飛びすぎるとき、水面にはその影が一瞬映る。だが雁が飛び去れば、その影も消え、水面は再び凪ぐ。 こ...