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盛んな時こそ、慎みを忘れずに
老いてからの病は、若く元気な頃の無理や不摂生が招いたもの。落ちぶれてからの災いは、順調で勢いがあった時期の驕りや過信の結果である。 だからこそ、満ち足り、順調に思える今こそが、自戒すべきときである。油断せず、恐れ慎みながら歩むこと――それが... -
恩も仇も、心に残さず静かに手放す
うらみは、善意を与えたときにこそ生まれやすい。だから、人に良くした後は感謝を求めず、徳も怨みもどちらも忘れてしまう方がよい。 また、仇もまた、恩を施したときに生まれがちである。恩を押しつけるよりも、恩も仇も共に跡形なく消えるようにするのが... -
喜びを味わい、虚しさを恐れる ― 限りある命を真に生きる
天地は永遠に続いても、私たちの人生は一度きり。百年という寿命でさえ、実際には瞬く間に過ぎ去ってしまう。 せっかくこの世に生まれ、生きているならば、その喜びを味わうべきである。同時に、気づかぬうちに虚しく時を過ごしていないか、自らを省みるお... -
落ち着きと活力、その両方が指導者の品格をつくる
指導的立場にある者、すなわち士君子は、自分を軽く扱ってはならない。軽々しい言動は、外部の出来事に心を振り回され、落ち着いた風格を失わせる。 しかしその一方で、あまりに構えすぎ、慎重になりすぎてもいけない。重苦しさは、外のものへの過度な反応... -
許す心が、人を守り、己を高める
人の小さな過ちを責めないこと。人が隠したいことをわざわざ暴かないこと。そして、人が忘れたい過去の失敗や悪事をいつまでも記憶し続けないこと。 この三つを守る者は、自然と徳を養い、品格を高めることができる。さらに、無用な恨みを買わず、争いや害... -
美味も快楽も、五分の節度が身を守る
口に心地よい美食は、度を越すとやがて身体を蝕み、毒となる。心を喜ばせる楽しみもまた、過ぎれば人格を壊し、徳を失うことになる。 だが、どちらも「五分(ごぶ)」――つまり「ちょうど半ばのほどよさ」であれば、害もなく悔いも残らない。喜びや快楽その... -
真の世界では、万物が我と一体となる
この現実の世界は、幻にすぎない仮の場。名声や富は言うまでもなく、自分の肉体さえも天から預かった一時の形にすぎない。だが、真実の境地においては、父母兄弟といった近しい者はもちろん、あらゆる万物が自分とつながり、一体の存在であると気づかされ... -
極めた表現や人柄には、技巧を超えた自然さが宿る
本当に優れた文章は、奇をてらった技巧も飾り立てた言葉も必要とせず、ただ自然に「ぴたりと合う」ものになる。それと同様に、人としての品格が真に高まれば、特別な振る舞いや飾り立てた行動をしなくても、自然体のままで深い魅力を放つ。 到達点にあるも... -
真心があれば、自然も人も動く
真心から出た一念は、季節の理すら変え、堅牢な城壁を崩し、金属をも貫く力を持つ。一方、偽りの心で飾り立てた者は、外見ばかりで中身がない。そんな者は人と接すれば嫌悪を抱かれ、自分自身と向き合っても恥ずかしさに苛まれる。 形式より本質、見た目よ... -
甘やかされた心は、欲望の火となって他人か自分を焼き尽くす
裕福な家、権力ある家に生まれ育つと、どうしても他人に甘やかされ、わがままな性格になりやすい。 そのような環境で育った人の欲望は、抑えきれぬ**猛火(もうか)のように激しく、また、権力を欲する心は、燃えさかる烈焔(れつえん)**のように強くなる...