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人格は「主」、才能は「従」――主客が逆転すると、世は混乱する
徳(とく)=人格は人間の主(あるじ)であり、才(さい)=才能はその従者(しもべ)にすぎない。 つまり、本来あるべき姿は、人格が中心にあり、才能はそれに従う形で発揮されるべきということ。 ところが、才能ばかりあって、人格が備わっていない者は... -
人に見えないところの悪は深く、人に知られない善は大きい
悪事というものは、**人目に触れない「陰」**の中でこそ真価を問われる。陽(あきらか)な悪事であれば、多くの場合すぐに発覚し、批判を受けて制裁される。よって、その禍(わざわい)は比較的浅い。 しかし、隠れて行われる陰の悪事は気づかれず、繰り返... -
出すぎず、尽くしすぎず、立派すぎず――“控えめ”こそが、長く尊ばれる道
地位や名声は、あまりに高く昇りすぎない方がよい。あまりにも目立てば、やがて妬まれ、引きずり下ろされる危険がある。 自分の才能や能力も、すべてを出し切ってはならない。出し尽くせば、その魅力は薄れ、やがて衰えていく。 行いが立派であっても、過... -
功績には正当な賞を、過失には厳正な罰を
組織を動かすのは、私情ではなく公平さである。 組織を動かす上で、部下の**功績や過失(こうか)に対しては、曖昧な評価をしてはならない。もし、功と過を混同して扱うようなことがあれば、人々は次第にやる気をなくし、なまけ心(惰堕)**を抱くようにな... -
一番近しい関係こそ、一番深い妬みも生まれやすい
冷静さと平常心が、自分を悩みの闇から救う。 人の態度というものは、貧しい者に対してよりも、金持ちや権力を持つ者に対してのほうが、温かくも冷たくも変わりやすい。また、他人に対するねたみやそねみよりも、親や兄弟など、身近な肉親に対する妬忌の心... -
美と潔白は、誇った瞬間に敵をつくる
美しいものがあれば、必ずその反対に醜いものがある。それらは表裏一体の対の存在である。だから、自らの美しさを誇らなければ、誰もそれに対して醜さをぶつけてくることはない。 同じように、清らかさ(潔)があれば、その反対に**汚れ(汚)**も存在する... -
肉親のあいだでは、恩も徳も数えない――自然な愛情こそ本物
親が子を思いやり、子が親に孝を尽くし、兄や姉が弟妹をいたわり、弟妹が兄姉を敬う。これらがたとえ完璧なまでに実行されていたとしても、それは**肉親として“当然のこと”**であって、いちいち感謝の言葉を交わしたり、恩を着せたりするべきものではない... -
光り輝く成果は、誰も見ていない場所での積み重ねから生まれる
堂々と世に示すことのできる潔白な節操や高い道義は、人目のつかない暗く静かな場所での地道な修行や内省によって育まれる。 また、国家の運命を動かすような大きな施策や変革の実現も、それは決して偶然の賭けや感情の爆発からではなく、水の底を歩くよう... -
ほめ言葉にも悪口にも、慎重な判断と節度を
たとえ相手が善人であっても、まだ深い信頼関係が築けていないうちは、うかつにほめるべきではない。なぜなら、それを妬む者や悪意ある第三者が、仲を裂こうと告げ口や中傷をしてくる恐れがあるからである。 また、相手が悪人であっても、まだ完全に関係を... -
独自の信念を持ちながらも、偏らず公を見据える
自分の考えが少数派であったとしても、それが正しいと信じるものであれば、他人に合わせて曲げてはならない。しかし、だからといって他人の意見を無視して、自分の考えに固執するのもまた誤りである。 また、目先の小さな利益や感情的な損得にとらわれて、...