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人に誠実さがなければ、信はなく、気転がなければ、どこへ行ってもぶつかるだけ
人として生きるには、少しでも“誠実さ(真懇)”が必要である。それすらなければ、世間から離れ、誰からも信頼されない「もの乞い(花子)」のような存在になってしまい、その人の行動すべてが空虚で意味のないものになる。 また、社会の中を生き抜くには、... -
巧みに仕掛けても、仕掛けの上には仕掛けがある
人の智恵(ちえ)や策略(さくりゃく)は、あてにはならない。 魚を捕らえるために仕掛けた網に、**思いがけず大きな雁(鴻)**がかかるように、自分が仕組んだつもりの仕掛けにも、予想外の結果がついてくることがある。 また、獲物を狙うカマキリ(螳蜋... -
変わる世の中にあっても、変わらぬ「気節」を守る
事業も名誉も移ろうが、意気と節操は千年残る。 どれほど偉大な**事業や文章(学問・教養)であっても、その人の肉体が滅びれば、やがて消え失せる(銷毀)**ものだ。 また、どれほど高い地位や名誉、財産を築いたとしても、それらは時代の流れとともに他... -
自分を省みる人は、すべてを糧にして進化する
人を責める人は、すべてを凶器に変えて衰えていく。 自分を反省できる人は、どんな経験や失敗に出会っても、**それを自分を高める「薬石(やくせき)」**とすることができる。 反対に、人のせいにばかりして他人を責める人は、どんな思考・感情も、**やが... -
静寂のなかで心を見つめ、自分の“からくり”に気づく
夜の終わりと朝のはじまり――そこに本当の自己が立ち現れる。 夜が更けていき、街の光も消え、音という音がなくなるとき――それは、人がようやく深い静寂とやすらぎ(宴寂)に入るときである。 明け方の夢から目覚め、まだ万物が動き出さない世界に身を置く... -
人格を高めるには、まず世界を広く見ることから
見識が度量を育て、度量が徳を築く。 徳(とく)=人格や品格は、その人の度量(どりょう)=心の広さ・包容力によって深まり、度量の広さは、さらに見識(けんしき)=知識や思慮の深さによって育まれる。 したがって、もし「より高い人格を備えたい」と... -
飽きれば去り、冷えれば捨てる――それが人情だとしても、自分はそうであってはならない。
人は、自分が飢えているときには寄ってくるが、満ち足りてしまえばたちまち離れていく。 こちらが裕福であれば、近づいて媚びへつらうが、一たび貧しくなれば、まるで価値のないもののように棄てていく。 ――これは、世に広く見られる「人情の通患(つうか... -
財ではなく、言葉で人を救う――それもまた無量の功徳なり
士君子(しくんし)――高潔な人・志ある人であっても、ときに貧しくて、他人を物質的に助ける余裕がないことがある。 しかし、たとえば―― **愚かで道を誤っている人(痴迷)**に出会ったとき、 ただ一言でその迷いを覚まさせることができる。 苦境や危難の... -
苦労は共にできても、安楽は共にしにくい
功を分かち合えば、心が離れ、恨みを生む。 人は失敗や過ち、困難や苦しみにおいては、互いに支え合い、助け合うことができる。むしろ、そうするべきである。 しかし、成功の功績やその後の安楽・幸せとなると、それを他者と等しく共有することは難しく、... -
悪人を追い詰めすぎるな――逃げ道なき締めつけは、かえって禍を呼ぶ
組織や社会から悪人(奸)やへつらい者(倖)を排除しようとするとき、彼らに**「一つの逃げ道」=退路**を用意しておく必要がある。 もし徹底的に封じ込め、退路をまったく与えないならば、それは鼠(ねずみ)の穴をふさいでしまうようなものだ。 出口を...