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人を信じるとは、自らの誠を貫くということ
人を信じる者は、たとえ他人がすべて誠実であるとは限らなくても、自分自身は誠実な人間であるということになる。逆に人を疑う者は、たとえ他人が皆偽っているわけではなくても、自分の心はすでに誠実さを失ってしまっている。 つまり、信じるという行為は... -
学びとは、一生手放せない心の糧である
道(道徳)は、特別な誰かのものではなく、万人が共有すべき人生の指針である。だからこそ、他者に合わせてそれを分かち合い、導いていく姿勢が求められる。また、学びとは、日々の食事と同じように、生きるうえで不可欠なものである。そのため、どんな時... -
自らの宝に気づかずに、他人を羨むなかれ
ある偉人はこう言った――「自分の家に尽きることのない宝を持ちながら、それに気づかず、人の家の門前で鉢を持ち、物乞いのように振る舞っている者がいる」と。また別の偉人はこう言った――「にわか成金のように、わずかな財で夢を語り自慢する者よ。だがど... -
人格こそが事業と子孫を支える根になる
事業の基礎は、その人の持つ人格、すなわち「徳」である。人格が未熟なままで事業を始めても、それは土台のぐらついた建物のようなもの。やがて崩れてしまうだろう。また、心のあり方は、未来の子孫の行く末に影響を与える根である。根がしっかり植えられ... -
心を養うなら、語るに値する人と、語るに値することを
町の賢しらな人と付き合うよりも、山の静かな老人と語らうほうが心が休まる。権勢ある家の敷居を踏むより、親しい友人の粗末な家に立ち寄るほうが心は通う。くだらない噂話に耳を傾けるより、きこりや牧童が口ずさむ素朴な歌に耳をすます方が、むしろ心に... -
引き際は盛んなときに、施しは見返りを求めずに
職を辞するなら、惜しまれるほど全盛のときがよい。そうすれば潔さが際立ち、後味も美しい。また、身を置く場所は、人と競う必要のない、誰も行きたがらないような静かなところが望ましい。徳を大切にするなら、ほんの些細なことにも慎み深くあらねばなら... -
才能も熱意も、徳がなければ一流とはいえない
節義が高潔で、大臣に匹敵するほどに立派に見えたり、文章が古代の名曲「白雪」を超えるほどに華麗だったとしても、それが徳によって磨かれたものでなければ、ただの一時の勢い、または表面的な技芸にすぎない。 真に世の中で価値あるものと認められるには... -
急がず、待てば自ずと道はひらける ― 焦りは害、寛容は力
物事は、急いだからといってすぐに答えが出るとは限らない。むしろ、時間を置いてゆっくり構えることで、自然に明らかになることもある。また、人を動かそうとしても、強引にすればかえって反発を生む。放っておけば、やがて自ら動くこともあるのだ。 怒り... -
小さな油断が大きな禍を招く ― 細部にこそ心を尽くせ
たった一度の軽率な思いつきや、無意識のひと言、何気ない行動が、思いがけない大きな禍を引き起こすことがある。それは、目に見えない神仏の怒りを買い、天地の調和を乱し、時には子孫にまで災いを及ぼすことさえあるという。だからこそ、どんなに小さな... -
“清さ”も“楽しさ”も、取り繕うことではなく、取り除くこと
心を乱すものを消せば、自然と澄み、自然と楽しくなる。 水は、波さえ立たなければ自然と静まり、鏡も、ほこりや翳りがなければ、自然と明るく物を映す。 人の心も同じで、無理に清くしようと気張らなくても、濁らせる原因(欲、執着、煩悩)を取り除けば...