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肉体は月影のような仮のもの。夢を醒まし、真の自己を知れ
夜の静けさに響く鐘の音が、私たちの魂を深い眠りから呼び覚ますことがある。それはまるで、夢の中でさらに夢を見ていた自分が、真実に近づく一瞬のようだ。また、澄んだ水面に映る月影を眺めるとき、その美しさと儚さにふれて、自らの肉体もまた幻のよう... -
趣は遠くに求めずとも、身近な静けさに宿る
風雅や趣を感じるために、豪奢な庭園や名勝地を求める必要はない。お盆のような小さな池、こぶし大の石を並べた庭――そんなつつましい空間にも、霞がたなびくような静かな美しさがある。遠くの名景を追いかけなくても、よもぎに覆われた窓辺や、竹屋根のあ... -
自然を語るときに俗が漏れるなら、まだ心は俗世にある
都会を離れて自然に暮らす――その選択は清らかでも、語り方に執着が残っていれば、まだ本質には達していない。田舎暮らしの魅力をしきりに語る人は、逆説的にその新鮮さに心を奪われている。名誉や利益を否定しながらその話をやめられない人もまた、欲望の... -
忙しさは心が生む。自然の時と空間にくつろげ
歳月はもともとゆったりと流れ、天地は広大に開かれている。しかし、あくせくと世事に追われ、狭量な心を持つ人間は、それらのゆとりある恩恵を自ら手放してしまっている。春の花、夏の風、秋の月、冬の雪――四季の美は、心静かに味わえば人を癒す。だが、... -
華やかさに惑わされず、枯れの中に真実を見よ
春の華やぎは美しい――けれどそれは、天地が一時見せる幻にすぎない。花が咲き乱れ、鶯がさえずり、山や谷が彩られる季節には、本当の姿はまだ隠されている。晩秋になり、花は散り、木々は葉を落とし、岩や崖があらわになったとき、ようやく天地の本来の姿... -
能力を誇るより、本性を保つ無為の境地を
釣りや囲碁といった一見高尚な趣味にも、裏には欲や争いの気配が潜んでいる。心を清らかに保ち、穏やかに生きたいなら――何かを成すことより、成さぬことに価値を見出すべきである。人より多くの才を持っていると誇るより、何もできなくても自分の本質を失... -
自然を語るときに俗が漏れるなら、まだ心は俗世にある
都会を離れて自然に暮らす――その選択は清らかでも、語り方に執着が残っていれば、まだ本質には達していない。田舎暮らしの魅力をしきりに語る人は、逆説的にその新鮮さに心を奪われている。名誉や利益を否定しながらその話をやめられない人もまた、欲望の... -
静けさの中にこそ、人生の真実と人間の本質がある
人生とは、ときに大波小波が押し寄せる波乱万丈の道である。激しい風や荒れる海のように、運命に揺さぶられる場面もある。しかし、そんな人生にもやがて訪れるのが、風のやすらぎ、波の静けさ――つまり、心穏やかなときである。 このような安らぎの中でこそ... -
一時の華やかさより、静かに長く続くものを尊べ
桃やすももは春に美しく咲き誇り、その花も実も見る者・味わう者を楽しませる。しかしその華やかさは一瞬で、花はすぐに散り、実もまた傷みやすい。 一方、松や柏は一年を通じて青々とし、その強靭さと節度ある美しさは、移ろいに揺らがぬ「堅貞(けんてい... -
態度にこそ人柄が表れる──真の君子は場面ごとに心を律する
**君子(くんし)**とは、外見や言葉でなく、どんな状況でも一貫して節度と品格を保つ人である。 たとえば苦難や災難に遭ったとき、多くの人は取り乱したり嘆いたりするが、君子は冷静さを失わず、平然と状況を受け入れて対処する。その心には、どこか泰然...