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混乱の中でも平静を保つには、静かなときに心を養うべし
忙しく慌ただしいとき、本性を乱さず冷静でいたいのなら――それには、普段から心を清らかに整え、精神を養っておく必要がある。 また、死の間際に取り乱さず、穏やかに終わりを迎えたいと願うなら、生きているうちに、物事の本質や人生の理(ことわり)、生... -
一歩退けば道はひらけ、味を控えれば長く楽しめる
人より先に出ようとすれば、道は狭くなり、ぶつかりやすくなる。しかし、そこで一歩引いて後ろを歩けば、その分だけ道は広くなり、安全でゆとりあるものとなる。同様に、どんなに美味な食事も、あまりに濃厚で華やかであれば、すぐに飽きてしまう。だが、... -
静かな自然のなかに、風流と満足を見いだす
松の谷川沿いを、杖をついて一人ゆっくりと歩く。ふと立ち止まって見上げれば、破れた僧衣の肩に、雲がまとわりつくような幻想が生まれる。竹の茂った窓の下で、書を枕に横になってひと眠り。目覚めてみれば、月の光が、古くて粗末な敷物に淡く差し込んで... -
死を想えば、欲も冷め、道心が深まる
情熱が燃え上がるときは、自分が病に倒れたときのことを思い出す。名誉や利益が甘く感じられるときは、自分の死の瞬間を思い浮かべる。そうすれば、燃えさかる欲望は冷えた灰のように静まり、飴のように甘い功名も、噛みしめる蝋のように味気なく感じられ... -
勢いに乗るより、静かに己を保つ者が、長く幸せを得る
権力者にすり寄ったり、時流に乗った成功者に取り入ったりすることは、一時の栄光を手に入れられるかもしれない。だが、その相手が地位を失えば、共に沈むことになり、その禍(わざわい)は実に惨たらしく、しかも意外なほど早く訪れる。それに対して、自... -
現実は“足るを知る心”で楽園となる
目の前の出来事が、理想郷にもなれば、俗世にもなる――その分かれ目は「足るを知る」心にある。どんなに小さな恵みも、「今あるものに満足できる人」にとっては、仙人の住む桃源郷のように感じられる。一方で、満たされることを知らず、常に不足ばかりを数... -
「無」へと近づくほど、日々は豊かに味わい深くなる
欲を減らし、さらに減らしていくと、やがて“無”の境地――すなわち何も求めない、執着のない生き方に至る。そんな境地では、ただ静かに花を植え、竹を育てて過ごす日々に、深い満足と愉しみがある。 忘れてはならないことさえ忘れ、気ままに香を焚き、茶を煮... -
一念が時間を変え、寸心が世界を変える
時間の長さも、空間の広さも、すべては“心のあり方”次第である。気持ちにゆとりのある人にとっては、たった一日でも千年より遥かに長く、豊かに感じられる。また、心が広く開かれている人にとっては、たとえ一斗升ほどの狭い部屋でも、天地のように大きく... -
欲にも空にもとらわれず、ただ自然に生きよ
名誉や財産を競い合う人々がいても、それはそれ。任せておけばよい。かといって、それを見下したり、わざと嫌悪する必要はない。彼らの生き方に酔っているとしても、それを無理に否定するのは、結局同じ土俵に立つことになる。 また、自分が「淡々と生きて... -
立派さに酔わず、自然体で楽しめばよい
地位や財産は、空に浮かぶ雲のようなもの。つかの間であり、やがて消えゆく儚い存在にすぎない。それを悟り、「富貴などは浮雲のようなものだ」と受け止められれば、それで十分なのである。なのに、さらに自分の“立派さ”にこだわり、仙人のように山に籠っ...