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自然に学べば、静けさと無心の妙理にたどり着ける
大河は満々と水をたたえていても、音を立てずに静かに流れている。この自然の姿から学べるのは、たとえ喧騒の中に身を置いていても、心の内側に“静けさ”を保つことができるという真理である。外界がどんなに騒がしくとも、内面に静かな水面を持てば、環境... -
平凡こそ最上、無心こそ真実――技巧に頼らず、日常に真理を見よ
禅宗の教えは言う。「腹が減れば食べ、疲れたら眠る」と。一見、あまりにも当たり前のことのようだが、この“自然な生き方”のなかにこそ、禅の核心があるとされる。 また、詩の心得では、「目の前にある景色を、普段使いの言葉で表現するのがよい」と言われ... -
質素で素朴、けれど潤いある暮らしこそ、本当の豊かさ
ゆったりとして、心の奥から沁みてくるような趣(おもむき)は、贅沢で華やかな暮らし――たとえば濃厚な美酒に酔いしれるような世界からは生まれない。 むしろ、豆のかゆをすすり、水を飲むような質素で素朴な生活のなかにこそ、**心を落ち着かせ、深く味わ... -
雲のように、月のように——周囲にとらわれず、自らを保つ生き方
山のほら穴から生まれ出る一片の孤雲。その雲は、留まることも、流れることも、何ものにも縛られず、ただ自由に空を漂っていく。 また、空に懸かる美しい満月。地上が騒がしかろうが、静かであろうが、まったく関係なく、ただ凛とした光で、あまねく照らし... -
喧噪も静寂も、栄枯も超えて――どこにいても、自分にとっての天地がある
世俗を離れ、静けさを愛する人は、白雲が流れるのを眺め、幽玄な石に心を寄せて、そこに“玄(げん)”――宇宙の深遠なる理(ことわり)を感じ取る。 一方で、栄華を求める人は、清らかな歌や優雅な舞に心を奪われ、飽くことを知らずにその楽しみに浸る。 だ... -
名声より風格を、忙しさより余白を
名声を得ようとする努力や誇りも、世俗的には立派に見えるかもしれない。だが、それを巧みにかわし、あくせくせずに生きている人には、人間的な“趣(おもむき)”や“深み”において到底及ばない。 また、多くのことをこなして物事を成し遂げるのも素晴らしい... -
足るを知る者は、王侯よりも豊かに生きる
欲の深い人間の欲望には、終わりがない。金を得ても、今度は玉を得られなかったことを嘆き、公爵に封ぜられても、諸侯(=領地持ち)になれなかったと不満を抱く。 このように、地位も財産も手に入れた人間が、心の中では物乞いのように飢えている――それが... -
進むばかりが勇気ではない――退く備えもまた賢明である
何かを始めるとき、進むだけでなく「退く判断」ができるかどうかが、その後の運命を分ける。 前に進もうとする際には、**「もし問題があれば一歩退く」**という余地を持っておけば、角を垣根に突っ込み動けなくなった雄羊のように、立ち往生する禍(わざわ... -
外の状況を変えられなくても、心が変われば世界が変わる
暑さがつらいとき、気温そのものを下げるのは難しい。だが、「暑い」「つらい」と感じている心――その“熱悩(ねつのう)”を除くことができれば、まるで清涼台(せいりょうだい)に座しているかのように、涼しさと落ち着きを感じられるようになる。 同じよう... -
世のなかにあっても、道を守れば心は乱れない
世俗を離れて山林に暮らせば、人との関係に起因する「栄誉」や「恥辱」といった煩わしさから解放される。だが、たとえ都会の中、世のど真ん中で生活していたとしても――もし自分の中の「道義(どうぎ)」をしっかりと守り、誠実に生きているなら、他人が冷...