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「我」にとらわれると、欲と苦しみに満たされる
――真の自分とは何かを問い直すことから始まる 多くの人は、「我(わたし)」という存在を、あまりにも“確かなもの”として思い込みすぎている。そのため、あれが欲しい、これは嫌だ――と、好き嫌いや欲望に支配され、煩悩がどんどん増えていく。 古人(陶淵... -
人も花鳥も、自然のままが一番美しい
花は、鉢に植えて育てれば、一見整って見えるかもしれない。しかし、やがては**“生気”を失い、生命本来の力強さが消えていく。** 鳥もまた、籠の中で飼えば、徐々に“天趣”――自然な風情や活力――が失われてしまう。 これに対して―― 山あいに咲く花や、森の中... -
静かな日々の中に、心を満たす“ルーティン”がある幸せ
夜明けの静かな窓辺――そこでは、『易経』を読みながら、松の間に宿る朝露をすくって朱墨(しゅぼく)を研ぐ。まるで自然と一体になって心を調える儀式のような時。 昼どきには机に向かい、仲間と仏典について語り合う。その合間に、宝磬(ほうけい)と呼ば... -
富も地位も大きくなれば、失うリスクもまた大きくなる
多くの財産を蓄える者は、いざという時に“大きく失う”。そのため、お金持ちは、貧しい者のように「失うものが少ない気楽さ」には及ばないことがよくわかる。 また、高い地位に登りつめた者ほど、転落するときは一気に落ちる。そのため、地位の高い者は、名... -
欲深い心は静けさを壊し、欲のない心は騒がしさを越える
心のなかが“欲”でいっぱいの人は、静かに澄んだ深い淵に、波が沸き立つような状態にある。たとえ人里離れた山林に身を置いたとしても、その静寂を味わうことができない。 一方で―― 心のなかが“虚(から)”であり、欲望にとらわれていない人は、たとえ酷暑... -
老いと小ささを受け入れ、自然の中で精一杯に生きる
年を重ねれば、髪は抜け落ち、歯もまばらになる。この肉体は、まるで幻のように、やがてしぼみ、消えていく。 これは、人間の力では抗えない「自然の摂理」。だからこそ、無理に抗うのではなく、自然の流れに任せて生きる。 そして――鳥がさえずり、花が咲... -
人の好悪を越えて、天性のままを見るまなざし
人情の見方であれば、鶯(うぐいす)の鳴き声には美しさを感じて喜び、蛙(かえる)の鳴き声には騒々しさを感じて嫌がる。 また、華やかな花を見れば、それを育てたいと望み、雑草を見れば、それを抜いてしまいたくなる。 しかしそれらは、人の好みによっ... -
流れに任せて生きる――無執着と不動心の境地
自分の身は、つながれていない舟のようなもの。流れてもよし、止まってもよし――すべてを自然のままに委ねる。流れに逆らわず、無理に方向を定めようとせず、ただ、流れゆくままに身を任せる。 また、心は、もはや生気を失った枯木のようである。だから、た... -
心が乱れれば世界は敵に見え、心が静まればすべてが調和する
心が動揺していると、ほんの小さなことにも不安や恐れを抱いてしまう。たとえば――弓の影を見ては蛇やサソリだと疑い、草の中の石を見ては虎が伏せていると思い込む。このような状態では、見るものすべてが殺気をはらんで見え、心はますます恐れに染まって... -
知識ではなく、心で感じる――詩も禅も“味わう”ことが本質
たとえ一文字も読めなくとも――心に詩の情趣(こころ)がある人は、詩の世界を深く味わい、真の面白さを理解することができる。 また、一偈(いげ)も学んだことがない人であっても――禅の精神の“味”を心で感じ取ることができる人は、禅の奥深い極意にふれる...