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心が静かなら、世界はすがすがしい
――揺れぬ心は、どこにあっても青山緑樹のごとし 心に風や波が立たなければ、たとえ喧騒の中にあっても、そこはまるで青い山と緑の木々に囲まれた静寂の世界のように感じられる。 天から授かった「性(せい)」――本来の天性が、万物を育てるような温かさを... -
都は滅び、命は尽きるのに、人は争いと欲望をやめない
――それでもなお剣を握り、金に執着する人の心の浅さ かつて栄えた西晋の都は、今や草木が生い茂るだけの廃墟となっている。それを目の前にしても、人はなお剣(武力)を誇り、戦いをやめようとはしない。 自分の体は、いずれ洛陽北邙の墓地に埋められ、狐... -
自然は、心で味わう音楽であり、絵画である
――人工を超えた、天地の“鳴佩”と“文章” 林の奥から聴こえる松風の音、石の上を滑る泉の流れの響き――これらを**静かな心で聴いていると、**それがただの自然音ではないことに気づく。**それは、天地が奏でる最上の音楽「鳴佩(めいはい)」**である。 また... -
風が吹いても、水が揺れても、心は静かに
――影響されず、動じず、ただ自分であること 古の名僧はこう言った。「竹の影が階(きざはし)にさっと映って風に揺れても、階に積もる塵(ちり)は動かない。月の光が池の水を突き破るように映っても、水面には一筋の痕跡も残さない。」 また、ある儒者は... -
成功も生も、永遠ではない
――だからこそ、とらわれず、しなやかに生きる どんな成功も、いずれは敗れる。この真実をあらかじめ知っていれば、“絶対に成功しなければ”という強すぎる執着も、自然とやわらぐ。 また、生あるものは必ず死ぬ。この真理を知っていれば、「健康を保たなけ... -
自然と共に生きているという、深い実感
――“私”と“自然”の境目は、もはや消えている 高い窓のすだれをふと持ち上げ、外を見やれば、青々とした山々と緑の谷川から、雲とかすみが自由に出入りしている。その風景には、天地自然が“自在”に呼吸し、動き続けている様子が映し出されている。 視線を移... -
喜びと悲しみは背中合わせ
――だからこそ、日常に根ざした“静かな幸福”を大切に 人生には、一つの喜びがあれば、すぐにそれとつり合うような悲しみが現れる。うまくいったと思った光景にも、すぐさまそれを打ち消すような出来事が続く。喜びは決して純粋に“単体”では訪れず、必ず対に... -
忙しさの中には冷静を、孤独の中には情熱を
――両極にあっても、自分を見失わないための一点の火と氷 人生が目まぐるしく、心がかき乱されるような“熱閙(ねっとう)”の中にあっても――冷静な目を一点、しっかりと持っておくことが大切だ。それだけで、無用な苦悩や無駄な心配に巻き込まれることを避け... -
人の心も世の中も、いつも移り変わるもの
――とらわれを捨てて、軽やかに生きる知恵 人の心や世間の風潮(世態)は、つねに“倐忽(しゅくこつ)”――目まぐるしく変化し続ける。だからこそ、何かを「これこそ真実だ」とあまりにも強く思い込むことは、むしろ苦しみの原因になる。 北宋の儒者・**邵堯... -
今の自分を、もう一つの自分の目で見る
――老いた目、弱った心から、若さや栄華を省みる もし私たちが、老年の自分の視点で、若い頃の自分を見つめることができれば――そのとき自然と、意味のない競争や闘争に明け暮れた「奔地角逐(ほんちかくちく)」の心は、つまらないものに思えて消えていくだ...