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幻のような現実の中にこそ、真実は宿る
黄金は、荒々しい鉱石を精錬してこそ取り出せる。美しい玉(ぎょく)も、ただの石を磨き整えることで、その輝きを放つ。同じように、この世の「真理」も、幻のような現実の生活を通じてでなければ、決して手にすることはできない。 たとえば、酒を飲んでい... -
心が澄み切れば、何もなくても満たされる
人の心には、言葉にしがたい「真実の境地」、いわば悟りのような深い静けさと充足の世界がある。この境地に至るとき、人は琴や笛などの音楽に頼らずとも心が安らぎ、香やお茶がなくとも、清らかで芳しい気分が自然と湧き上がってくる。 この境地に至るには... -
心が澄んでいれば、質素な生活でも心身は健やかである
人間の本性や本心が清く澄みきっていれば、たとえ食べるものが粗末で、生活が質素であっても――お腹が空けば食べ、喉が渇けば水を飲む――それだけで心身は健やかに保たれる。 反対に、もし心が曇り、沈み、迷いの中にあるならば、どれほど高尚な禅の理を語っ... -
自然にかなうとき、真の美しさが生まれる
心にふと、ぴたりと一致するものに出会う――それは狙って得られるものではなく、偶然のように自然に訪れる。そうした瞬間にこそ、真の良さ、美しさ、「真機(しんき)」があらわれる。 また、風景や出来事が、誰の手も加えられていない自然なままであるとき... -
無になろうとするのではなく、今を淡々と片づけよ
多くの人が、「無念無想」の境地――何も思わず、何にもとらわれない心を目指して懸命に修行している。しかし、頭では「無になろう」と思えば思うほど、かえって念が生まれ、心が乱れてしまう。 けれど、もし過去のことを思い返して悩まず、また未来のことを... -
世間の風に動じず、静かにうなずく心でいる
人生をある程度経験して、世の中の甘さも辛さも味わい尽くせば、人の心がころころ変わろうとも、もはや気にもならなくなる。まるで、天気が晴れたり雨が降ったりするのと同じようなものだ。わざわざ目を開いて確かめるのも面倒なほど、どうでもよくなる。 ... -
欲も悩みも、地位の上下に関係なく人に付きまとう
節義に生きる烈士は、たとえ大国の王位を譲られても辞退する。一方で、欲深い者は、ほんの一文の金を得るためにも激しく争う。その人柄は天地の差ほど異なる。 しかし、「名誉を求めること」も「利益を求めること」も、本質的にはどちらも「欲」に縛られて... -
現象にとらわれず、超越の道を歩むには、修養あるのみ
「空(くう)」とは、何も存在しないことではない。目に見える現象に執着することは真実ではないが、かといって、現象そのものを否定してしまうこともまた、真実とは言えない。 では、このような問いを、もし釈尊に尋ねたら、何と答えるだろうか。釈尊はこ... -
最期に残るものを思えば、何が大切か見えてくる
樹木は枯れ果て、根だけが残ったときに初めて、それまで美しく咲いていた花や、青々と茂った枝葉が、いかにはかないものであったかがわかる。 人間もまた、いよいよ棺に納められる段になってようやく、生前あれほど大切にしていた子どもや財産、地位や名誉... -
力を蓄え、時を待つ者が、最後に高く飛ぶ
長く地上に伏して力を蓄えていた鳥は、いざ飛び立つと、他のどの鳥よりも高く舞い上がる。他の花より早く咲いた花は、美しく咲き誇る一方で、誰よりも早く散ってしまう。 このような自然の道理を理解していれば、人生の中で一時的に勢いを失い、足踏みして...