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理と事、心と境――すべては一体である
宇宙の根本的なあり方である「理(ことわり)」が空寂(くうじゃく)――すなわち、すべての執着を超えて空しく、静かであるならば、その現れである「事(ことがら)」もまた、同様に空寂である。 それなのに、「事」は幻だからと退けて、「理」だけを求める... -
自分を中心に据えれば、すべては自由になる
自分の人生の主役は自分であり、外の出来事や環境、周囲の反応は、あくまでそれに付随する脇役にすぎない――そう考えられる人は、成功しても大いに喜ぶことはなく、失敗しても、くよくよ悩むこともない。 どんな状況であれ、大地を悠々と歩むように、自分の... -
真の巧みさは、素朴さの中にある
文章というものは、華美で巧妙に見えるよりも、むしろ“拙(つたな)さ”を守ることで味わいが生まれ、深まりを持つ。また、道を修める修行も、器用さではなく、地道で素朴な“拙”を守ることでこそ、本当に身についていく。 この「拙(せつ)」という一文字の... -
自然と心はひとつ――すき間なく溶けあっている
冬の夜、月の光が雪景色を照らしているのを見れば、私たちの心も、まるでその光に染められたように、澄みわたり、静かに清められていく。 また、のどかな春風が肌をなでるように吹けば、それに応じて、気持ちも自然とほぐれ、やさしくやわらいでいく。 こ... -
放つも締めるも、自在に扱えるのが理想の境地
唐の詩人・白居易(白楽天)はこう言った――「身心を解き放ち、目を閉じて、すべてを自然のままに任せるのがよい」。 一方、北宋の詩人・晁補之(晁无咎)はこう述べた――「身心を引き締めて、凝然たる静けさのなかで禅定に入ることが最もよい」。 この二つ... -
精神の感受性を養い、静けさの中に動きを見出す
あたり一面が静まりかえり、すべての音が消えたような寂寥のなかで――ふと、一羽の鳥の鳴き声を耳にすれば、その一声だけで、心の奥底から幽玄な趣きが次々と呼び起こされてくる。 また、冬の終わり、ほとんどの草花がしおれ、朽ち果てたあとの景色の中で、... -
喜びは、飾りのない静けさの中に宿る
たとえ狭い部屋で暮らしていたとしても、心の中の雑念をすべて捨て去ることができれば、わざわざ豪華な楼閣にあるような――色あざやかな棟を仰ぎ、雲の流れを追ったり、きらびやかな玉のすだれ越しに雨をながめたりといった、ぜいたくな趣を求める必要はな... -
心が悟れば、どこでも極楽。悟れなければ、どこでも俗界
人は、束縛されるのも、解き放たれるのも――すべては自分の心ひとつにかかっている。 もし心が澄みわたり、悟りの境地に至っていれば、たとえ肉屋や酒屋のような、むさくるしい世俗の場所に身を置いていても、そこはすでに清らかな極楽浄土のように感じられ... -
心が満ちていれば、粗末な暮らしも豊かになる
精神が充実していれば、たとえ粗末な布団で寝るような貧しい暮らしであっても、天地の調和した気に満たされて、心はおだやかで、身体も元気に保たれる。 また、食事が質素であっても、心から「おいしい」と感じられるなら、たとえ「あかざのあつもの(=藜... -
すべては一つ。違いにとらわれる必要はない
天地に存在するすべてのもの――草木や動物、人と人との感情、世の中のあらゆる出来事――これらは、私たちの普通の「世俗の目」で見れば、互いに異なっていて、複雑に入り乱れたものに映る。 しかし、「道の目(=道眼)」で見つめ直せば、それらすべては、本...