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真の静けさは「静けさを求める心」すらも忘れたところにある
騒がしさを嫌い、静けさを好む人が、ときに人を避けて孤独を選ぶことがある。しかしそれは、静寂への執着ゆえの選択であり、「人を避ける」という行為の裏には「我(わたし)」という心のとらわれが存在している。 つまり、静けさを求めるその心自体が、す... -
心が定まるまでは、欲望に近づかない
自分の判断力や心の安定がまだ確立していないうちは、俗世間――人の欲や騒がしさが満ちる場所――から距離を置くのが賢明だ。 欲望をかき立てるものを見ないようにして、心を乱さず、本来の静かな心を磨く。そうして不動の心ができあがれば、今度はあえて世間... -
去り際の美しさが、その人の品格を決める
宴もたけなわ、音楽や歌で場が最高潮に達しているとき――そこで自ら静かに衣の裾を払って、潔くその場を去る人物がいる。まるで断崖絶壁の上を手放しで歩くような見事な身のこなし。達人とは、こういう人を言うのだろう。 一方で、すでに時は深夜。宴はとう... -
どんな高名な教えでも、自分の頭で吟味する
もし心の中に最初から妄念(もうねん)がなければ、わざわざ“心を観よ”と修行する必要があるのだろうか?それなのに釈尊が「心を観ぜよ」と説けば、かえって本来なかった妄念を意識し始め、妨げが増えるのではないか? また、万物は本来一体であるのに、「... -
欲が淡ければ、人生はすでに満ちている
田舎の素朴な農夫は、鶏の肉や手づくりのにごり酒の話をすれば、うれしそうに語り、自分の着ているどてらや粗末な衣服の話になると、さらに楽しげに話す。だが、貴人たちのごちそうや高官の礼服の話を振られても、まったく関心を示さない。 それは、彼らの... -
自然の美を味わうには、静けさとゆとりがいる
自然の風景が見せてくれる美しさ――たとえば風のさっぱりとした心地よさ、雪の夜に浮かぶ月の澄んだ光――こうした繊細な美に心を動かされるのは、静かな心と感受性を持つ人だけだと説かれる。 さらに、草木が芽吹いて枯れていく様子や、竹や石が移り変わる景... -
富貴も勝敗も、幕が降りれば幻となる
舞台に立つ**俳優(優人)**は、白粉を塗り、紅を引き、はけ一本で美人や醜婦を自在に演じ分ける。だが――やがて歌が終わり、舞台の幕が降りれば、さっきまで舞台にいたはずの「美」も「醜」も、どこへともなく消えてしまう。 **囲碁を打つ者(奕者)**は、... -
本当の知恵とは、未来のリスクを見抜く力にある
病気になって初めて健康のありがたさに気づく。戦乱に巻き込まれて、ようやく平和の尊さを思い知る――これでは、決して「先見の明」があるとは言えない。それはただ、失ってから気づく“後知恵”に過ぎないからである。 本当に卓越した見識を持つ人は、幸福を... -
自分の「本来の面目」に立ち返り、絶対の静けさに遊ぶ
一度、こう問いかけてみる――「自分がまだこの世に生まれていなかったとき、 いったいどんな顔をしていて、どんな姿をしていたのだろうか」 さらに、こうも考えてみる――「やがて死んだ後、私はどんな状態になるのだろうか」 こうして過去・未来の“存在しな... -
真の風流とは、自由と気ままさの中にある
隠者の暮らしにおける「風流」とは――礼儀や形式にとらわれず、すべてを自分の気分や好みにまかせて、自然体で過ごすことにこそある。 だからこそ、 酒は無理にすすめ合わず、飲みたいときに飲むのが楽しい。 囲碁は勝ち負けにこだわらないからこそ面白い。...