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国の統治と人の病気は同じ
貞観五年(631年)、太宗は側近の者たちに向かって言いました。「国を治めるのと病気を治すのとには、違いがない。病人が治ったと思った時こそ、いよいよ養生しなければならない。もし禁じられていることを破れば、必ず命を落とすことになるだろう。国を治... -
隋の文帝の政治と理想的な政治の違い
貞観四年(630年)、太宗は蕭瑀に尋ねました。「隋の初代皇帝、文帝はどのような君主であったか?」蕭瑀は答えました。「文帝は私欲を抑え、天の理に立ち返り、政治に勤しみました。朝廷に座っていると、日が傾く時刻まで過ごしてしまうこともありました。... -
詔勅起草における議論の重要性
貞観三年(629年)、太宗は側近の者たちに向かって言いました。「中書省と門下省は、国家の中枢を担う重要な官署であり、だからこそ才能ある者を抜擢して任命しています。その任務は非常に重いものであり、もし詔勅に理に適っていない点があれば、徹底的に... -
昔と今の政治家の違い
貞観二年(628年)、太宗は黄門侍郎(門下省副長官)の王珪に尋ねました。「最近、君臣が国を治める方法が、昔より劣っていることが多いのはなぜだろうか」と。王珪は答えて言いました。「昔の帝王は、政治を行う際、すべて志を静謐に保ち、人民の心を自分... -
詔勅の起草における心構え
貞観元年(627年)、太宗は黄門侍郎(門下省副長官)の王珪に向かって言いました。「中書省で起草する詔勅には、しばしば意見が一致しないことが多い。誤りを含むものもあれば、互いに間違った判断で直し合うこともあります。そもそも、中書省と門下省を設... -
弓の心の教え
太宗は、若いころから弓矢を好み、その奥義を極めたと自負していました。しかし、ある日、良弓十数張を手に入れ、それを弓の工匠に見せたところ、工匠は「どれも良材ではありません」と答えました。太宗がその理由を尋ねると、工匠はこう説明しました。「... -
天下を守るは難きか易きか
太宗は、「天下を守ることは難しいか、それとも易しいか」と尋ねました。魏徴は、「天下を守るのは非常に難しい」と答えました。太宗は、「賢者や能者を任用し、その忠告を受け入れればよいではないか。どうして難しいのか」と尋ねました。しかし、魏徴は... -
理想的な君主の姿
魏徴は、帝王の行動について次のように述べました。「古来、君主が国を治める際には、天下に広く徳を施し、その賢明さを日月のように輝かせ、子孫の繁栄と国の長久を望んでいます。しかし、そんな願いを持っても、結果として成功を収めた者は少なく、国が... -
草創と守成、いずれが難しいか
太宗は、帝王の業について「国を建てる草創と、国を維持する守成のどちらが難しいか」と尋ねました。房玄齢は、「草創は、混乱した世の中で群雄が競い合い、戦い抜いて勝利を得るため、難しい」と答えました。しかし、魏徴は、「帝王が現れるのは、必ず衰... -
明君と暗君の違い
太宗は、「明君」と「暗君」の違いについて尋ねたところ、魏徴は次のように答えました。「明君は、多くの人々の意見を広く聞く者です。逆に、暗君は、少数の者だけを信頼し、偏った意見に耳を傾ける者です。」彼はまた、古の聖王がどのように治国を行って...