未分類– category –
-
第二章 杜如晦
概要 杜如晦は、太宗の治世における重要な臣下で、彼の登用と重用により太宗の政権が安定したとされる人物です。杜如晦はその知恵と才能を認められ、秦王府での活躍を経て、最終的には太宗の側近として政治に深く関与しました。 初期の経歴と登用 杜如晦は... -
第一章 房玄齢
概要 房玄齢は、太宗の治世を支えた重要な臣下で、特に太宗の信頼を集め、政治を安定させるために貢献した人物です。彼はその政治的手腕、賢明な人材登用、そして忠実な仕官として知られています。この章では、彼の生い立ちから太宗への仕官、そして数々の... -
第十四章 貞観の治
太宗が即位した当初、国内では霜害や旱害が発生し、米穀の価格が高騰しました。その上、突厥(テュルク民族)が侵入し、各地の州や県は混乱していました。太宗は人民の安寧を心から憂い、政治に精力を注ぎました。倹約を尊び、大いに恩徳を施し、人民を保... -
第十三章 自制こそが天下泰平の道
貞観十九年(645年)、太宗は側近の者に向かって次のように語りました。 「私が古来の帝王を見てみると、驕り高ぶって失敗した者が数えきれないほどいます。遠い太古のことはともかくとして、晋の武帝が呉を平定し、隋の文帝が陳を滅ぼした後、二人ともま... -
第十二章 君主が乱れて臣下が治まる
貞観十六年(642年)、太宗は側近の者たちに言いました。 「上に立つ君主が乱虐であっても、臣下が治まっていることがある。一方で、臣下が乱れていて、君主が治まっているという場合もある。このように、二つのことが食い違っている場合、どちらがよりひ... -
第十一章 国を治めるのは木を植えるのと同じ
貞観九年(635年)、太宗は側近の者に言いました。 「かつて、初めて隋の都・長安を平定した時、宮中の宮殿はどこも美女や珍しい宝物で満ち溢れていた。しかし、煬帝はそれでも足りないと思い、取り立てをやめることなく、東西に遠征し、武力を使って理由... -
第十章 恩賞よりも税を軽くする方が大事
貞観八年(634年)、太宗は側近の者たちに言いました。 「隋の時代には、人民がいくら財貨を持っていても、それを保ち続けることはできなかっただろう。私が天下を治めるようになってから、人民の養育に専心し、重い租税や労役を課すことはしなかった。人... -
帝道と王道の理解
貞観七年(633年)、太宗は魏徴とともに古来の政治の良し悪しについて話し合っていました。太宗は言いました、「今は隋末の大乱の後なので、すぐには治まった世を作ることはできないだろう」と。しかし、魏徴はこう答えました。「そうではありません。およ... -
忠臣誅殺の故事
貞観六年(632年)、太宗は側近の者たちに言いました。「古人は『危うい時に手を差し伸べず、転んだ時に助けないのであれば、何のために付き添っているのか』と言っています。君臣の道義も同じです。臣下は忠義を尽くして君主を正し、助けるべきではないで... -
民は恐るべし
貞観六年(632年)、太宗は側近の者たちに言いました。「古来の帝王を見てみると、盛りがあれば衰えがあり、ちょうど朝があれば日暮れが来るのと同じだ。それはすべて、臣下が君主の耳目を覆い隠してしまい、君主は時の政治の善悪がわからないからだ。忠義...