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本心を売ってまで得る富に価値はない――義に反する大禄は受けるな
孟子はこの章で、人間の「本心(ほんしん)=善なる心・羞恥心・道徳心」こそが人生の根幹であり、たとえどれほどの財貨であっても、それを犠牲にすべきではないと強く訴えます。小さな食事でも“無礼な与え方”では受け取らないのに、大金(万鐘)の禄にな... -
義は万人の心に宿る――生命より重い価値を、私たちは知っている
孟子はこの章で、「義を貴ぶ心」は賢者だけの特権ではなく、すべての人に本来備わっているものであると説きます。「生きること」と「死ぬこと」は、最も根源的な欲望と恐れでありながら、それを超えてでも守ろうとするものが人にはあるという、性善説に基... -
義は命より重い――生きることよりも正しくあることを選ぶ
孟子はこの章で、「義=正しさ」は、命(=生)よりも価値があるという道徳観を、鮮やかな比喩と論理で説いています。この一節は、孟子の義を基準とする倫理観=義本思想の中核であり、命がけでも守るべき価値があるという道徳の重みを強調しています。 魚... -
志が定まらなければ、何事も成らない――“打ち込み”の大切さ
孟子はこの章で、才能や知力よりも、「志を立てて一つのことに専念する姿勢」が成功の鍵であると説きます。斉王に対して「不智(無知)なのではない」と前置きしたうえで、**“気持ちの継続”がなければ善も育たないし、物事も成らない”**という教訓を伝えて... -
善は育ててこそ活きる――放っておけば消えてしまう
孟子はこの章で、「性善」はもともと備わっているが、それだけでは不十分であり、正しく養わなければ存続しないと説きます。これは性善説を土台にしながら、教育・修養・習慣の重要性を極めて明確に述べた一節です。 育てれば伸び、育てなければ失われる ... -
本性は養わなければ表れない――“平旦の気”を失えば禽獣と同じ
孟子はこの章で、前節の「牛山の木」のたとえを引き継ぎ、人間の「良心(仁義の心)」がどのように損なわれ、またどうすれば保てるのかをさらに掘り下げて語ります。それが、「平旦の気(夜気)を養うこと」という視点です。 人の心にも“芽生える力”がある... -
本性は損なわれても消えない――見た目の姿に惑わされるな
孟子はこの章で、人間の本性は外見や現状から判断すべきではないと説きます。いかに荒廃していても、それは「本性」が失われたのではなく、損なわれた結果にすぎないということ。例え話として出される「牛山」の姿は、人間の心のたとえとして象徴的です。 ... -
心もまた共通の好みを持つ――理と義は味や音と同じように“うまい”もの
孟子はここで、「理(ことわり)」と「義(ただしさ)」は私たちの心にとって“快いもの”であり、それはちょうど、おいしい肉が口にうれしく、良い音楽が耳に心地よく、美しいものが目に美しく映るのと同じことだと説いています。 味覚・聴覚・視覚――人間は... -
聖人も我らと同じ本性を持つ――違いは環境と努力にある
孟子はこの章で、人間の本性は誰もが同じであり、聖人と凡人の違いは、先天的な能力ではなく、後天的な環境と努力の差であると明言します。これは、性善説に基づく平等思想とも言え、誰もが善くなる可能性を持っていることを力強く主張する章です。 凶年に... -
美徳は生まれつき内にある――仁義礼智は本性のあらわれ
孟子は、人の本性が善であることを、心に備わる四つの徳の“萌芽(芽生え)”をもって示します。それは外から与えられたものではなく、もともと人の内にあるもの。つまり人は、美徳を「好む性質」そのものを授かっているのです。 四つの徳の芽生え:本性から...