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第七章 身内か仇敵かを問わず賢人は推挙せよ
現代語訳 唐の太宗が即位して間もない頃のことである。太宗は側近の臣下たちに向かって、こう述べた。 「私は今、政治に全力を注ぐため、優れた人物を広く探して登用している。誰かが良い人物だと聞けば、すぐに引き立てて使うようにしている。だが世間で... -
第六章 公平な意見を採用しなかった後悔
現代語訳 唐の太宗の時代、刑部尚書(司法長官)の張亮が「謀反の疑い」で告発され、裁判にかけられることとなった。太宗はこの件を官僚たちに審議させたが、多くの者が「張亮は死罪に値する」と述べた。 しかし、ただ一人、殿中少監(宮中警備官僚)の李... -
第五章 娘の嫁入りに対する諫言に皇后が感動
現代語訳 貞観六年(632年)、太宗の娘・長楽公主が嫁ぐことになった。太宗は、役人に命じて「姉妹にあたる長公主が嫁いだときの倍の嫁入り支度を用意せよ」と指示した。 この命令を聞いた魏徴が、太宗に上奏した。 「昔、後漢の明帝が自分の息子を諸侯に... -
第四章 昔の公正な明君・名宰相に学べ
現代語訳 貞観二年(628年)、太宗は房玄齢ら側近に語った。 「最近、隋の時代を知る年配者たちが口をそろえて『高 **(※高熲と思われる)こそ良き宰相だった』と言っているのを聞き、私も彼の列伝を読んでみた。そこには、彼がいかに公正・率直で、政治... -
第三章 法における過失の解釈と皇帝決定権の問題
現代語訳 貞観元年(627年)のこと。吏部尚書・長孫無忌が宮中に召された際、うっかり佩刀を外すのを忘れたまま太極殿の門(東上閣門)を通過してしまった。彼が門を出たとき、ようやく門番の監門校尉がその事実に気づいた。 尚書右僕射の封徳彝は、「監門... -
第二章 兵は火のようなもの
第二章 兵は火のようなもの 現代語訳 貞観元年(627年)のこと。ある者が封書を用いて上奏した内容は次のようであった。 「もと秦王府に属していた兵士たち全員に武官の地位を授け、宮中の警護にあたる兵士として採用してほしい。」 それを受けて、太宗(... -
公平 第十六章
第一章 人の任用は旧知かどうかに左右されてはいけない 現代語訳 太宗(李世民)が皇帝に即位して間もない頃、中書令の房玄齢が進言した。 「陛下が秦王であられた時からお仕えしていた部下たちの中に、不満を持つ者がいます。というのも、かつて亡き皇太... -
親孝行に国境なし
──突厥人・史行昌(し・こうしょう)の行為より 国家や文化の違いを超えて、親を思う心は普遍の人間性である。 異民族であっても、孝は真心に通じる 貞観年間、唐に仕える突厥(とっけつ)出身の史行昌は、皇城の門・玄武門の警備に宿直していた。 ある日... -
喪に生き、誠に徹した王族の模範
──霍王 李元軌(ほくおう り・げんき)の人物像より 唐の高祖の第十四子、太宗の弟である李元軌は、父帝・高祖の死をきっかけに、真の孝と誠の姿を示した。 父帝の崩御に際し、職を辞し骨が浮くほどの悲しみ 武徳年間には呉王に封じられていた元軌は、貞観... -
悲しみを生涯忘れぬ王――霍王李元軌の清廉と孝行
**霍王 李元軌(り げんき)**は、唐の高祖の第十四子であり、太宗の弟にあたる王族である。彼の人生には、静かな誠実さと変わらぬ哀悼の情が貫かれていた。 父の死を悼み、生涯を麻衣で過ごす 李元軌は武徳年間に呉王に封ぜられ、貞観七年(633年)には**...