未分類– category –
-
大人物と小人物を分けるもの――「心を立てる」ことがすべての分岐点
孟子はこの章で、「人間は皆平等な存在でありながら、なぜ大人物と小人物に分かれてしまうのか?」という問いに、“心”の扱い方こそが分かれ道であると明快に答えています。同じ人間でも、大きく生きるか、小さく生きるか――それは「思う力=心の官能」をど... -
“小を養いて大を失うな”――口腹とともに心志を養え
孟子はこの章で、**「身体の欲望を満たすことは否定しないが、それに偏れば人は堕落する」**と警告します。大切なのは、飲食(=物質的な滋養)を否定することではなく、それを心や志といった“もっと大きなもの”の養いに結びつけることだという教えです。 ... -
養うべきは“欲”ではなく“心”と“志”――大人と小人の分かれ道
孟子はこの章で、「人は本来、自分の身を愛している。しかし、その“愛し方”と“養い方”を誤ると、小人になる」と警告しています。つまり、自分を大切にすることは正しいが、“どこを・どう養うか”が極めて重要であり、そこに人格の高下が生まれるという教訓... -
自分の育て方を知らずして、どうして生きられるか――“身を養う”という根本課題
孟子はこの章で、「自分の身体と心をどう育てるか(養うか)」という最も根本的な問いを投げかけています。私たちは植物でさえ育て方を調べて実践しようとするのに、**自分という存在の育て方には驚くほど無関心である――これはおかしくないか?**という厳... -
恥じるべきは“心のゆがみ”――大切なものを見誤るな
孟子はこの章で、人間が本来恥じるべきことは、身体の欠陥よりも「心のゆがみ」であると説きます。しかし多くの人は、見た目や外形の“整っていないこと”には敏感なのに、心の不完全さ・不徳については平気でいる――この倒錯を鋭く批判しています。 くすり指... -
学問とは“失った心”を取り戻すこと――仁は心、義は進むべき道
孟子はこの章で、「仁は人の心、義は人の歩むべき道である」という言葉をもって、学問の本質を端的に示しています。これは、孟子の性善説に基づいた道徳教育・人格修養の核心的命題であり、失われた「本心(ほんしん)」を再び探し、取り戻す営みこそが、... -
本心を売ってまで得る富に価値はない――義に反する大禄は受けるな
孟子はこの章で、人間の「本心(ほんしん)=善なる心・羞恥心・道徳心」こそが人生の根幹であり、たとえどれほどの財貨であっても、それを犠牲にすべきではないと強く訴えます。小さな食事でも“無礼な与え方”では受け取らないのに、大金(万鐘)の禄にな... -
義は万人の心に宿る――生命より重い価値を、私たちは知っている
孟子はこの章で、「義を貴ぶ心」は賢者だけの特権ではなく、すべての人に本来備わっているものであると説きます。「生きること」と「死ぬこと」は、最も根源的な欲望と恐れでありながら、それを超えてでも守ろうとするものが人にはあるという、性善説に基... -
義は命より重い――生きることよりも正しくあることを選ぶ
孟子はこの章で、「義=正しさ」は、命(=生)よりも価値があるという道徳観を、鮮やかな比喩と論理で説いています。この一節は、孟子の義を基準とする倫理観=義本思想の中核であり、命がけでも守るべき価値があるという道徳の重みを強調しています。 魚... -
志が定まらなければ、何事も成らない――“打ち込み”の大切さ
孟子はこの章で、才能や知力よりも、「志を立てて一つのことに専念する姿勢」が成功の鍵であると説きます。斉王に対して「不智(無知)なのではない」と前置きしたうえで、**“気持ちの継続”がなければ善も育たないし、物事も成らない”**という教訓を伝えて...