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親を大事に思う心
親を責める言葉にこそ、深い愛があることもある 孟子の弟子・公孫丑(こうそんちゅう)は問うた。「斉の高子(こうし)は、『詩経』の《小弁(しょうべん)》という詩は、小人(しょうじん)の作だと言っています。親を怨んでいるからだと」 孟子はこれに... -
自分で実践していく熱意を持て
道は遠くにあるのではない。歩もうとする意志があるかどうかだ 孟子は言う。「ゆっくり歩いて目上の人の後に従う――これは『弟(てい)』、つまり敬意を持った正しいふるまいだ。逆に、さっさと歩いて先に出るのは『不弟』、礼を欠いたふるまいとされる」 ... -
やろうと実践していけば、どんな目標とする人にもなれる
「できない」のではない。ただ「やらない」だけだ 曹交(そうこう)は孟子に尋ねた。「誰もが堯(ぎょう)や舜(しゅん)のような聖人になれると聞きますが、本当でしょうか」孟子ははっきり答えた。「その通りだ」 曹交はさらに続けて言う。「私は身長九... -
極端なことで比較するのはおかしい
比較には、正しい基準と全体像が必要だ 孟子は、屋廬子が答えに窮した議論について、「答えるのは難しくない」と言った。 物事を比べる際に、根本(本質)ではなく、末端(細部)だけを比べると、本来の価値を見失う。たとえば、一寸(いっすん)四方の小... -
議論のための議論に対処するのは難しい
言葉の勝ち負けではなく、本質を見失うな 孟子の弟子・屋廬子(おくろし)は、任(じん)の人からの問いに答えられず、孟子のもとに相談に訪れた。 「礼(れい)と食(しょく)、どちらが重いか」「礼のほうが重いです」 「色欲(しきよく)と礼は?」「礼... -
仁義を眼目とせよ――道を学ぶ者の“的”を見失うな
孟子はこの短い章で、**「道(みち)を学ぶにおいて、最も重要な“的”を見誤ってはならない」**という教えを、的確な比喩とともに説きます。その“的”とは、言うまでもなく、仁と義。孟子が一貫して掲げる、人としての根本の徳です。 弓術の名人・羿と「彀(... -
“仁”は育ててこそ価値がある――未熟な善意は無価値に等しい
孟子はこの短い章で、**「仁の価値は“育て熟すこと”にかかっている」**という重要なメッセージを伝えます。これは単なる抽象的な徳の称賛ではなく、仁(思いやり・善意)も“耕し、実らせる努力”なしには力を持たないという、現実的な修養論です。 五穀と雑... -
仁は必ず不仁に勝つ――問題は“量と継続”にある
孟子はこの章で、**「仁(じん)は不仁(ふじん)に必ず勝つ」という強い信念を語ります。ただしそれは、本当に十分な仁を持ち、継続して実践した場合に限るとし、中途半端な仁で結果を焦る者に対して、「それでは火に水を一滴垂らすようなものだ」**と厳... -
地位ではなく“内なる徳”こそが真の貴さ――人爵と天爵の違いを知る
孟子はこの章で、「人は誰しも“貴くありたい”と願う。しかし、本当の貴さ=天爵とは、外から与えられる地位や肩書きではなく、内に備わる仁義の徳である」と説きます。さらに、人々は天爵をすでに持っていながら、それに気づかず、外から与えられる人爵ば... -
“爵位”にも二つある――天が授ける徳と、人が与える地位
孟子はこの章で、人間の「本当の価値」は、外から与えられるものではなく、自らの内に築き上げるべき“天爵”にあると明言します。つまり、人が求めがちな「地位・称号・肩書き(人爵)」は副次的なものであり、最優先で修めるべきは、仁義忠信といった“徳(...