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君の礼遇が厚いと臣もそれに応えるようになる
厚く遇すれば、深く報いられる――信義は礼をもって育つ 斉の宣王は、礼における「旧君(かつて仕えた主君)への服喪」について孟子に尋ねた。孟子は、「君が本当に臣を礼をもって遇するならば、たとえ関係が絶たれた後でも、臣はその恩義に報い、君の死に喪... -
自分の相手の見方次第で相手も変わる
相手の心は、こちらの姿勢に応じて映し返される 孟子は斉の宣王に、主従関係の本質を端的に説いた。君主が臣下をどう見て接するかによって、臣下の君主への向き合い方も大きく変わる。手足のように大切に扱えば、腹心のように心を尽くしてくれる。犬馬のよ... -
大局的に考え実践することも忘れたくない
善意にとどまらず、仕組みを整えるのが本当の政治 孟子は、善良な心を持って民を助けた宰相・子産の行いに対し、厳しくも本質的な指摘をした。冬の寒さの中、川を渡ろうとする民に自らの乗り物を使わせて助けた子産。その姿は、確かに恵み深い。しかし孟子... -
昔から正しい道を行うことは変わっていない
時代も場所も違えど、「道」はひとつである 孟子は、聖人たちがどの時代・地域に生まれようとも、真に「道(みち)」を得て歩む者は、同じ志をもって一致すると説いた。 舜は東方の地に、文王は西方の地に生まれた。ふたりの生まれも育ちも、さらには時代... -
親に認められぬ成功は、草やあくたと同じ――「大孝」は家庭と天下の両立にある
孟子は、**天下の人々から賞賛され、王たる地位に上り詰めた舜(しゅん)**の心の在り方に注目し、「本当の喜び」「真の充実」とは何かを問い直す。 「天下すべてが悦んで舜に帰服しても、それだけでは舜は何の喜びも感じなかった。それは、まるで草や芥(... -
孝と悌――その喜びは、やがて「手の舞い足の踏むところを知らず」へと至る
孟子は、儒教五常(仁・義・智・礼・楽)のそれぞれの根本を解き明かし、それらがすべて「孝」と「悌」――親への孝行、兄や年長者への敬意に立脚していることを説いた。 その実践が心に根づくとき、人はやがて―― 「手の舞い足の踏むところを知らず」 つまり... -
親不孝の最大は「子を残さぬこと」――血の断絶は家の断絶
孟子は「不孝」について、非常に明確な基準を打ち立てている。 「不孝には三つの大きなものがある。その中でも最も大きな不孝は、跡継ぎを残さないことである」 これは儒教の根本思想である**「孝=親を敬い、家を守ること」**に根ざす考え方であり、単に... -
聖賢の道を学んだ者が、ただ“食べるため”に従うとは情けない
孟子は、愛弟子である**楽正子(がくせいし)**に対し、再び厳しく諫める。 「お前が子敖について斉まで来たのは、ただ“餔啜(ほせつ)”――食べさせてもらうためではないか」「古の道を学んだお前が、まさかそんな行動に出るとは思わなかった」 ここで孟子... -
愛弟子でも、礼を欠けばきちんと叱る。それが本物の師の姿
この章は、孟子が**自らの愛弟子・楽正子(がくせいし/らくせいし)**に対して、礼を欠いた振る舞いを厳しく戒める一幕を描いている。相手が高弟であり、かつかつて自分のために尽力した人物であっても、師は師として節度を保つべきであるという孟子の信... -
まだ道を極めてもいないのに、すぐ“先生ぶる”ことこそ、人間の大きな落とし穴
孟子は、数ある人間の欠点のなかでも、**「他人を教え導く者のごとく振る舞いたがる傾向」**を強く戒めている。 「人の患(うれ)いは、好んで人の師と為るに在り」 これは、単なる教師や学者に限らず、**あらゆる場面で人の上に立とうとする「態度」**へ...