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孔子に私淑する
直接学べずとも、心から敬い、学び、継ぐ――それが私淑の道 孟子は、「どんなに徳の高い人物の遺徳も、五世(約150年)を過ぎれば消えてしまう」と述べる。君子であろうと、小人であろうと、その人の残した影響は時とともに薄れていくのが世の常である。 自... -
『春秋』は孔子の大義名分
歴史をただ書き記すのではなく、道義を正す筆である 孟子は、孔子が編纂した『春秋(しゅんじゅう)』という歴史書が、単なる出来事の記録ではなく、道徳と政治の正しさを示すための「義の書」であると説いた。 かつて王者(=徳ある統治者)が健在だった... -
旨酒を憎んで善言を好む
王たる者は私欲を退け、賢言と実践に生きる 孟子は、五人の理想的統治者の徳と姿勢を挙げ、それぞれの優れた特徴を通じて、君子やリーダーが目指すべき道を説いた。 禹(う)王は、旨酒(うまざけ)を憎み、善言を好んだ。 → 快楽に溺れず、正しい言葉や... -
仁義の有無が鳥、けものと人間の異なる点である
人と獣の違いは、仁義を保てるかどうかにある 孟子は、人と禽獣(きんじゅう=鳥やけもの)との違いは、ごくわずかな差にすぎないと語る。しかし、この「わずかな差」こそが決定的であり、それが仁義(じんぎ)=人間の心に備わる道徳の核である。 一般の... -
君子は自分の実力以上の名声、評判を恥じる
源のない名声は、やがて涸れる――真価は内から湧くもの 孟子は弟子の徐子(じょし)からの質問に応え、孔子がしばしば称賛した「水」の徳について語った。 水源の豊かな泉は、昼も夜も絶えることなくこんこんと湧き出し、途中にくぼ地があればそれを満たし... -
賢者が登用されないのは不吉なことである
最も不吉なのは、賢者を隠すことである 孟子は、世間に多くある「不吉な言葉」について、それが本当に災いをもたらすものではないと語る。人は言葉尻に敏感になり、「縁起が悪い」と言って忌避するが、そうした表現の多くは迷信にすぎない。 しかし、**真... -
人を服させたいという私心から善を施しても王者にはなれない
真の支配は、心からの信頼と尊敬によって成り立つ 孟子は、「人を服させよう」という意図から善を施すことは、決して真の服従=心服を得るものではないと断言した。このような行為は、表面的には善意に見えても、その背後に「人を従わせたい」という私心(... -
詳しく学ぶのは、正しい要点を理解するためである
学ぶとは、枝葉を広げて本質に還ること 孟子は、学問とは博識を誇るためのものではないと、明確に述べている。広く学び、詳しく説明すること自体は確かに大切である。だがその目的は、**道理の根本=「約(やく)」**に立ち返って、要点をしっかりと語るた... -
自得したことが何をするにも根源となる
内から得た道は、あらゆる問題への答えとなる 孟子は、「君子(くんし)」すなわち高徳な人物が、人生をかけて「道(みち)」を探求する理由を語る。それは、単に知識としての「道」を知るのではなく、自らの内から深く「得る」=自得(じとく)するためで... -
親孝行は当たり前のことであり、親の葬儀は大事な節目である
日々の孝よりも、死に際しての礼が人の真価を問う 孟子は、親に孝養を尽くすことは当然のことであり、それ自体は特筆すべき「大事」とは言えないとした。本当に重要なのは、親が亡くなったときに、どのように弔うか――その葬送の場にこそ、人としての礼や誠...