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奔る心を制するは、真の自己統治なり
📜 引用原文(出典:『ダンマパダ』第3章 第5偈) この心は以前には、望むがままに、欲するがままに、快きがままに、さすらっていた。今やわたくしはその心をすっかり抑制しよう、あたかも象使いが鉤をもって、発情期に狂う象を全くおさえつけるよ... -
未熟な心には、見張りをつけよ
📜 引用原文(出典:『ダンマパダ』第3章 第4偈) この心は胎児の状態にあり、牢固としていないし、見ることもできない。わたしはつねに教えさとす、わがためにならぬように外へ出歩くことなかれ。 (パーリ語原典:Anavaṭṭhitacittaṃ vāyāmasīlasa... -
乱れる心に、智の手綱を
📜 引用原文(出典:『ダンマパダ』第3章 第3偈) 心は別々の方向に走る。太陽の光線のように。それ故に賢者は心を制する。鉤で象を制するように。 (パーリ語原典:Dunniggahassa lahuno yatthakāmanipātino,Cittaṃ rakkhetha medhāvī cittaṃ gutt... -
もがく心にこそ、解脱への扉がある
📜 引用原文(出典:『ダンマパダ』第3章 第2偈) 水の中の住居から引き出されて陸の上に投げすてられた魚のように、この心は、悪魔(マーラ)の支配から逃れようとして、もがきまわる。 (パーリ語原典:Cittam dūraṅgamaṃ ekacaraṃ asarīraṃ guhā... -
心を制する者が、人生を制す
📜 引用原文(出典:『ダンマパダ』第3章「心」、第35偈) 心は、捉え難く、軽々とざわめき、欲するがままにおもむく。その心をおさめることは善いことである。心をおさめたならば、安楽をもたらす。 (パーリ語原典:Dunnighaṃ calacittaṃ durakkh... -
楽にも苦にも、動じぬ者こそ真に楽しむ
🔖 原文(日本語訳) 「立派な人々は、いかなるところにあっても、快楽のゆえにしゃべることが無い。楽しいことに遭っても、苦しいことに遭っても、立派な人々は動ずる色がない。」――『ダンマパダ』第5章「愉楽品」第52偈(最終偈) 📝 逐語... -
苦も快も、すべては縁による現象
🔖 原文(日本語訳) 「村において、林において、快感や苦痛に触れられた人は、それを自分のせいにしてもならぬし、他人のせいにしてもならぬ。迷いの条件に依存して、触れられる事物が触れるのである。迷いの条件の無い人に、触れられる事物の触れ... -
からだを自分と見なさぬとき、真の自由が訪れる
🔖 原文(日本語訳) 「われらは何物をももっていない。いとも楽しく生きて行こう。身体を自分と見なす(見解に)とらわれることなく、喜びを食む者となろう。」――『ダンマパダ』第5章「愉楽品」第50偈 📝 逐語訳と要点解説 何物をももたな... -
持たぬ者のほうが、喜びを深く味わえる
🔖 原文(日本語訳) 「われらは何物をももっていない。いとも楽しく生きて行こう。光り輝く神々のように、喜びを食む者となろう。」――『ダンマパダ』第5章「愉楽品」第49偈 📝 逐語訳と要点解説 何物ももっていない(akiñcana):財物や地... -
悩ませぬ人が、まわりを安らがせ、自らも安らぐ
🔖 原文(日本語訳) 「他人を悩ます人々のあいだにあって、われらは人を悩ますことなく、いとも楽しく生きて行こう。他人を悩ます人々のあいだにあって、われらは人を悩まさないで暮そう。」――『ダンマパダ』第5章「愉楽品」第48偈 📝 逐語...