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自らが正しくなければ、誰も従わない
孟子は、人に何かを行わせたいのであれば、まず自分がその「道」を体現しなければならないと説いた。たとえ最も身近な存在である妻や子どもでさえも、自らが道を外れていれば、その影響は届かない。 言葉だけで人を動かそうとしても、それが自分の生き方と... -
権力は民を守るためにあり、搾取のためではない
孟子は、関所の本来の役割と、当時の関所の現状を比較して、厳しく批判した。もともと関所は、外敵や乱暴者を防ぎ、民の安全を守るための防衛施設だった。しかし今では、通行する民から税金や賄賂を徴収し、かえって民に暴力的な苦痛を与える場と化してし... -
他人の親を殺すことは、やがて自分の親を殺すことに通ずる
孟子は、人の親族、とりわけ父や兄といった近親を殺すことの罪の重さを、あらためて深く実感したという。人の父を殺せば、その報復として自分の父も殺される。兄を殺せば、同じく自分の兄が報いを受ける――これは自分自身が手を下さずとも、結果として自分... -
境遇が変わっても、心を変えずに生きる
孟子は、聖人舜の生き様を引き合いに出し、どんな境遇であっても動じず、安らかに生きる姿勢の尊さを説いた。舜は天子となる前、庶民として質素な食事――乾飯と草菜――を口にし、貧しくともそれを当然のように受け入れていた。その生活を生涯続けるのだとし... -
道具は与えられても、上達するかは自分次第
孟子は、技術の習得における「主体的な努力」の重要性を説いている。たとえば建具屋や大工、車輪や車台をつくる職人たちは、人に道具の使い方は教えられるが、「器用にさせる」ことはできない。 つまり、知識や手法は教えてもらえるが、それを活かして自ら... -
人民は、戦ではなく正義を望んでいる
孟子は、戦争の巧みさを誇る者を「大罪人」と断じた。なぜなら、本来、仁をもって国を治める者に敵はなく、人民は皆、平和と正義を望んでいるからである。 かつて殷の湯王が南方に軍を進めると、北方の民が「なぜ我々を後回しにするのか」と嘆き、東へ進め... -
聖典ですら、盲信してはならない
孟子は、「経典に書いてあることだから」といって、すべてを無批判に受け入れることの危うさを指摘する。『書経』の武成篇には、武王が悪王・紂を討つ戦において「血が杵(きね)を流れるほどの激戦」とあったが、それを孟子は疑う。 「仁者には天下に敵は... -
正義を掲げても、戦には義がない
孟子は、戦争に義(ただしさ)を求めることの虚しさを語った。『春秋』――孔子が記した歴史書――に記された戦いのすべてを見渡しても、「義にかなった戦争」はひとつもなかったという。 たとえ「あの戦いのほうがこの戦いよりはマシだ」と言えるものがあって... -
愛を知らぬ者は、愛すべき者すら傷つける
孟子は、仁を欠いた支配者の行いを鋭く批判する。仁者は、まず自分の身近な人を愛し、その愛を他者にも広げていく。しかし不仁者は、他者への冷酷さを、自分が大切にすべき者にまで及ぼしてしまう。 梁の恵王は、領土欲のために民を戦に駆り、血肉がただれ... -
すべきことの優先順位を誤ってはならない
孟子は、「すぐに取り組むべき本務」を見極めることの重要さを説いた。 知者(ちしゃ/賢い者)は、本来すべてを知ろうとする心を持っている。仁者(じんしゃ/思いやりのある者)も、すべてを愛そうとする心を持っている。 しかし、知者もまずは「急ぎな...