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国家の真の宝は、領土と人民と政(まつりごと)である
孟子は、**諸侯が真に守るべき「三つの宝」**について明確に述べている。それは、以下の三つである: 土地(とち):国土。経済の基盤であり、生活と生産の場。 人民(じんみん):民衆。国家を支え、社会を形作る存在。 政事(せいじ):統治。公正な政治... -
過剰な課税は、民を滅ぼす
孟子は、為政者が税の重さと取り方に細心の注意を払うべきことを、非常に具体的なかたちで説いている。 人々から取り立てる税には、主に三種類あると孟子は言う: 布縷(ふる)の征:衣類や糸などの物納。 粟米(ぞくまい)の征:主食である穀物の納税。 ... -
教育は、強制ではなく自由な選択の上に立つべきである
孟子は、異なる思想や立場を持つ者を受け入れる寛容な姿勢の重要性を説いている。彼は、儒学に至るまでの思想的な流れを次のように整理する: 墨子の学派(兼愛・節用を重視)を学ぶ者が、その非を知れば… 次に楊朱の学派(利己主義的な快楽追求)に移り… ... -
人を育てるには、今どこにいるかを見極めること
孟子は、教え子・**楽正子(がくせいし)**について尋ねられたとき、彼の徳の水準を明快に評価した。「彼は善人であり、信人である。だが、さらに上の美・大・聖・神の域にはまだ至っていない」と述べた。 このやりとりで孟子が示したのは、人間の徳の段階... -
天命に甘えず、本性の徳を磨き続ける
孟子は、人の本性と天命について深く考察し、**「人間とは何か」そして「どう生きるべきか」**を説いた。 私たちは、食べ物の味、美しい色彩、快い音、よい香り、そして快適さや安逸を自然に求める。これらの感覚的な欲求は、人に本来備わった“性”=本能の... -
過去に善をなしたとしても、今また同じことをすれば良いとは限らない
孟子は、善行であっても、それを繰り返すことが常に正しいとは限らないと説く。背景となるのは、斉の国で起こった飢饉のときのこと。弟子の陳臻が、「人々は先生が以前なさったように、また棠の倉を開いて米を配ってくれることを望んでいます」と言った。 ... -
見かけや痕跡では、本質の価値は量れない
弟子の高子が、古代の聖王・禹(う)の音楽は、後代の文王の音楽よりも優れていると述べたことに対し、孟子はそれを否定する。高子の根拠は、「禹の鐘の取っ手がすり減っているから」であり、それを「よく使われた証拠=優れていた証拠」と考えた。 しかし... -
学びも徳も、怠ればすぐに塞がる
孟子は、弟子の高子に対して、学問や修養を怠る危うさを比喩的に語っている。彼はこう言った:**「山の中の小道も、通い続けていれば道となるが、しばらく使わなければすぐに茅(かや)が生い茂って塞がれてしまう」**と。 同様に、人の心も修養を怠れば、... -
自ら光を放たなければ、人を照らすことはできない
孟子は、人を導くにはまず自らが明らかでなければならないと説く。賢者とは、自らの「昭昭(しょうしょう)=明らかな徳」をもって人々を照らし、導くことができる存在である。 しかし、現在の為政者たちは、自らが「昏昏(こんこん)=徳もなく暗愚」であ... -
正しき者は、そしられる宿命にある
弟子の貉稽(かくけい)が、「多くの人に悪く言われて困っている」と嘆いたとき、孟子はそれにこう応えた。**「気にするな。それは士(=志ある者)の証しである」**と。 孟子の見解は明快だ。士(し)とは正義を貫く者であり、正しき道を行く者は、多くの...