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行為は奉仕、動機は浄化――それがヨーギンの道
■引用原文(日本語訳) 身体により、意により、知性により、また単に諸感官のみにより、ヨーギン*たちは行為をなす。自己を清めるため、執着を捨て。(第5章 第11節)*ヨーギン:ヨーガの修行者。ここではカルマ・ヨーガ(無執着の行為)の実践者を指す... -
捧げて働けば、心は濁らず澄み渡る
■引用原文(日本語訳) 諸行為をブラフマンに委ね*、執着を捨てて行為する人は、罪悪により汚されない。蓮の葉が水に汚されないように。(第5章 第10節)*ブラフマンに委ね:宇宙的原理・神性に、自らの行為を捧げること。 ■逐語訳 あらゆる行為をブラフ... -
ただ起こることを起こらせよ――主体を手放す智慧
■引用原文(日本語訳) 語り、排泄し、把促し、目を開き、閉じつつも。感官が感官の対象に働くのみと考えて。(第5章 第9節) ■逐語訳 話し、排泄し、手を伸ばし、目を開け、閉じる――そのような行為をしていても、真理を知る者は、「これは感官がその対象... -
行為のただ中で、無為の境地にとどまる
■引用原文(日本語訳) 〔行為のヨーガに〕専心した、真理を知る者は、「私は何も行為しない」と考える。見て、聞き、触れ、嗅ぎ、食べ、進み、眠り、呼吸しつつも。(第5章 第8節) ■逐語訳 行為のヨーガに専念し、真理を悟った者は、「私は何も行ってい... -
自己を整えた者は、行為に染まらず道を貫く
■引用原文(日本語訳) 〔行為の〕ヨーガに専心し、自己を清め、自己を制御し、感官を制し、その自己が万物の自己となった者は、行為をしても汚されない*。(第5章 第7節)*汚されない:行為によってカルマ(業)の束縛を受けない。 ■逐語訳 ヨーガ(無... -
行為を超えるには、行為を通らねばならない
■引用原文(日本語訳) しかし、〔行為の〕放擲*は、〔行為の〕ヨーガなしでは達成され難い。〔行為の〕ヨーガに専心した聖者は、遠からずブラフマンに達する。(第5章 第6節)*放擲(ほうてき):行為そのものを手放す生き方。サンニャーサの道。 ■逐語... -
理と行を一に見る眼が、真の洞察をもたらす
■引用原文(日本語訳) サーンキヤによって得られる境地は、ヨーガによっても到達される。サーンキヤとヨーガとを同一に見る人は、真に見るのである。(第5章 第5節) ■逐語訳 サーンキヤ(理論・智慧)によって到達される悟りの境地は、ヨーガ(実践)に... -
理論と実践は分かたれず――一つを極めよ、全てが得られる
■引用原文(日本語訳) 愚者はサーンキヤ(理論)とヨーガ(実践*)とを別個に説くが、賢者はそうは説かない。一方にでも正しく依拠すれば、両方の成果を得る。(第5章 第4節)*実践:ここではカルマ・ヨーガ(行為のヨーガ)を意味する。 ■逐語訳 愚か... -
執着を手放す者こそ、真の自由を得る
■引用原文(日本語訳) 憎むことなく、期待することない人は、常に放擲した者*と知らるべきである。実に、相対を離れた人は、容易に束縛から解放される。(第5章 第3節)*放擲(ほうてき):行為や結果への執着を手放した人。 ■逐語訳 何ものも憎まず、... -
行動の中にこそ、智慧と解放が宿る
■引用原文(日本語訳) 聖バガヴァットは告げた。「行為の放擲と行為のヨーガとは、共に至福をもたらす。しかし、その両者のうちで、行為のヨーガは行為の放擲より優れている。」(第5章 第2節)*「放擲(ほうてき)」=行為(カルマ)を完全に捨て去る道...