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師に問うときは、身分や過去を持ち出さず、謙虚でなければならない
弟子の公都子が孟子に問うた。「更(こう)様は君主の弟君でありながら、先生の門下に入って学んでおられます。礼を尽くしておられるように見えますが、先生はなぜ彼の問いにろくにお答えにならないのですか?」 孟子は静かに答えた。「人が師に問いをする... -
自分の正しい道を、他人に合わせて曲げてはならない
孟子は、社会が安定していて道義が世の中に行き渡っているときには、自ら世に出て、その「道(正義・仁義)」を実践するべきだと説いた。しかし、もし天下が乱れ、道が行われていないような状況であれば、自ら身を引き、道を守りながら生きるべきであると... -
教えるとは、常に最高の理想を掲げてこそ意味がある
弟子の公孫丑は孟子にこう尋ねた。「聖人の道は高く、美しく、まるで天に登るようなものです。私たちのような凡人にはとても届かないようにも思えます。そこでお願いなのですが、せめて私たちでも日々努力すれば届きそうな、もっと手の届く教えにしてもら... -
君子が人を導くための五つの教え方
孟子は、君子が人を教育・指導するときの方法には、五つのやり方があると説いている。それは、人の違い、状況の違いに応じて、柔軟かつ深い配慮をもって導く方法である。 一、時雨のごとく教える ちょうど良い時に降る雨が、自然に草木を潤すように、時機... -
礼も、形式ではなく真心を重んじ、状況に応じて変えてよい
斉の宣王は、父母の死に対して行う「三年の喪」が長すぎると感じ、これを短縮しようと考えた。これに対して、弟子の公孫丑が孟子に問うた。「一年の喪でも、全く喪を行わないよりは良いのではありませんか?」 孟子はこれに対し、次のように例えて答えた。... -
私たちは、生まれながらに十分な力を授かっている
孟子は、人間が持つ身体や容貌、顔の表情といった「形色」は、天(自然)から与えられたものであり、それ自体が**天性(本性)**であると説く。 しかし、多くの人は私欲や俗念にとらわれ、その本来の力を発揮できていない。一方で、聖人と呼ばれる人物は、... -
君子を仕えるには、真心と敬意がなければならない
孟子は、人をただ物で養うだけでは不十分であると説く。ただ禄(食)を与えて愛さなければ、それは人を豚のように扱うのと同じである。愛があっても、そこに敬意がなければ、それは獣を飼うのと同じであり、相手を人としてではなく、扱いやすい存在として... -
人は、環境と立場によって大きく変わる
孟子が斉の范から都・臨淄へ向かう途中、斉王の子を遠くに見て、深く感嘆して言った。 「昔から『住まいは気性を変え、養いは体を変える』と言われるが、まさにその通りである。地位の力とは、かくも人を変えるものなのか。他の者たちも、皆同じ人の子では... -
親を想う心は、天下よりも重い
弟子の桃応が孟子に尋ねた。「もし舜が天子となり、司法官の皐陶が法を執り行っているとき、舜の父である瞽瞍(こそう)が人を殺したら、どうなりますか?」 孟子は答える。「皐陶は法に従って、瞽瞍を捕らえるだけだ」。 桃応はさらに聞いた。「というこ... -
小義に優れても、大義を失えば本末転倒である
孟子は、斉の陳仲子が廉潔な人物として知られ、「たとえ不義によって斉の国を与えられても決して受けないだろう」と世間の人々から信じられていることに対して、厳しく指摘した。 確かに、それは義を貫く立派な行動に見える。しかし孟子は、それを「簞食(...