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小国でも、仁政を行えば大国に勝つ
孟子は恵王の「仇を討って恥をすすぎたい」という願いに対し、こう答える: 「領地がたとえ百里四方しかなくても、王者になることはできる」 それは軍備によってではない。仁政を民に施し、民の心を得ることによってである。 刑罰をできるだけ軽くし、 税... -
仇を討って恥を晴らしたい――それは本当に「王の道」か?
梁の恵王は、かつて強国だった自国(晋)の衰退を語り、心中の屈辱を打ち明ける。 自分の代になってからは: 東では斉に敗れて、長男を失った。 西では秦に七百里もの領土を奪われた。 南では楚に敗れて、辱めを受けた。 恵王はこれを「恥」と感じ、「亡き... -
生きた民を飢えさせる政治は、人形よりも残酷である
孟子は、孔子(仲尼)の次の言葉を引用する。 「最初に俑(よう)を作って死人と共に埋める風習を始めた者は、子孫を残せないだろう」 この言葉には、人に似せた人形を“死のため”に用いることがいかに不道徳であるかという孔子の価値観が込められている。... -
飢える民がいる限り、王は民の父母とは言えない
孟子は、王の暮らしぶりと民の現状の対比から、強い非難を込めて言う。 王の調理場には脂の乗った肉が並び、馬屋には肥えた馬がつながれている。しかしその一方で、民は飢えに苦しみ、野には倒れて死んだ者(餓莩)が転がっている――。 このような政治のあ... -
政治で民を殺すのは、刃で殺すのと同じである
梁の恵王が、「私は心静かに先生の教えを受けたい」と語りかけると、孟子はすかさず問いを投げかける。 「人を殺すのに棒(梃)で叩き殺すのと、刃物で斬って殺すのとに違いはありますか?」 恵王が「どちらも殺すことに変わりはない」と答えると、孟子は... -
民の死を自らの責任とみなす王に、人は自然と集まる
孟子は、為政者が民の死や飢えに対して無関心であることを、鋭く批判する。 富者の飼う犬や豚が、人間の食べるものを食べていても、誰もそれを取り締まらない。道端に餓死者が倒れていても、米倉を開いて米を施すことをしない。 そして、いざ人が死ぬと「... -
民の暮らしを満たせば、王者の道は自然と開ける
「人が満ち足りてこそ、真の王者──生活と道徳の両輪が組織を動かす」 孟子は、民の生活を安定させるための具体的な施策を丁寧に挙げた上で、「これを実行して王にならなかった者は、歴史上一人もいない」と断言する。 各家庭に五畝(ごほ)の宅地を与え、... -
王道とは、民の生を養い、死を悼む道である
「生を養い、死を悼む──真の豊かさが王道を拓く」 孟子は、民の暮らしを根底から支えるための方策として、三つの基本を挙げる。 農繁期に労役を課さないこと 民の農作業の時期を妨げなければ、穀物はあふれるほど実る。 細かい網で魚を獲り尽くさないこと... -
五十歩百歩――本質が同じなら違いはない
「五十歩百歩に安住せず──比較より、理想との距離を問え」 孟子は、恵王の「自分は心を尽くして政治をしているのに、隣国と変わらないのはなぜか」という問いに対し、戦争のたとえを用いて鋭く応えた。 ある戦場で、太鼓の音に合わせて兵が前進し、敵と接... -
善意だけでは民はついてこない
「尽力しているつもりでも、人は心に従う──伝わる政治、伝わる経営を」 梁の恵王は、民を思って心を尽くして政治を行っていると語る。凶作があれば、余裕のある地域に民を移し、穀物も分配している。こうした配慮は、他国のどの王よりも優れていると自負し...