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思いやりは「内から外へ」――そして、常に自分の心を測り直すこと
孟子は、王にこう語る。 「まずは、自分の老いた親を敬うように、他人の親も敬う。自分の子を慈しむように、他人の子も慈しむ。それができれば、天下を治めることなど、自分の掌の上で物を転がすようなものです」 これは、身近な者への思いやり=仁の心を... -
やらないことを「できない」と言ってはならない
斉の宣王が問いかける。 「“やらない”ことと“できない”ことは、どう違うのか?」 この率直な疑問に対し、孟子は二つの具体例を示して答える。 比喩① 泰山を抱えて渤海を飛び越える(=できないこと) 「もし誰かが泰山をわきに抱えて、渤海を飛び越えよう... -
「できない」のではない。「やろうとしない」だけである
「できるのに、やらない――“力”より“意志”が成果を決める」 孟子は斉の宣王に問いかける。 「もし誰かが、『私は百鈞もの重い物は持ち上げられるのに、鳥の羽一枚は持ち上げられません』とか、『秋に生えた動物の細毛の先端まで見えるのに、車いっぱいの薪... -
たとえ一つで、人の心は解きほぐれる
孟子は、王が牛を羊に代えた行為の中に「仁の心」があることを明言する。 「王が牛を見たからこそ、忍びざる心が起きたのです。羊は見ていなかったのです」 そして、孟子は**“君子と禽獣”の関係**というたとえを持ち出す: 「君子は、生きている獣を見ると... -
自分の“良心”を肯定されたとき、人は耳を傾け、笑顔になる
「見えぬ“心”が、行動の意味を変える──共感と真意が信頼を育む」 孟子は、前章で語った“牛を羊に代えた話”の真意を探る中で、王の中にある「忍びざる心(=他者の苦しみを見過ごせない心)」に光を当てた。 すると斉の宣王は、それを受けて正直に答える。 ... -
相手の心に“仁”を見つけ、それを伸ばすのが本当の導き
孟子は斉の宣王に向かって、ある逸話を引き合いに出す。 ある日、王が御殿の上に座していたとき、儀式用の鐘に血を塗るために引かれていく牛の姿を見た。 王はその様子を見て問いかける: 「その牛はどこへ連れていくのか?」 「鐘の開眼儀式のためです」... -
知りたいことではなく、知るべきことを話す――孟子の対話術
「守る力が王者の資格──仁こそが最強のリーダー資質」 斉の宣王は、春秋時代の覇者である斉の桓公と晋の文公について語ってほしいと孟子に求める。 しかし孟子は、あえて次のように答える。 「孔子の流れをくむ人たちは、桓公や文公のことを語りません。だ... -
民は、仁ある王を水のように自然に求める
孟子は襄王に向かって、こう語りかける: 「王よ、苗のことをご存じでしょうか?」 七月・八月、日照りが続くと苗は立ち枯れてしまう。しかし、天が油然と雲を起こし、沛然と雨を降らせれば、枯れた苗もまた浡然と(むくむくと)蘇る。 この様子は、誰にも... -
天下を得るのは、仁を好み、人を殺すことを憎む者である
孟子は、恵王の跡を継いだ梁の襄王に謁見したが、その人物に王としての威厳を感じられなかった。 面会を終えた孟子は、ある人にこう語る: 「遠くから見ても王らしく見えず、近づいても畏敬の念を感じなかった」 その襄王が唐突に尋ねてきたのは、「天下は... -
仁ある者には、敵などいない
孟子は、恵王が仇敵と見なす秦や楚のような強国について、こう語る。 それらの国々は: 民が農業で最も忙しい「時(とき)」を奪い、 過酷な夫役を課して、親を養うこともできなくし、 その結果、父母は飢え凍え、 兄弟・妻子は離散し、家庭も社会も崩壊し...