孟子はこの章で、人間が本来恥じるべきことは、身体の欠陥よりも「心のゆがみ」であると説きます。
しかし多くの人は、見た目や外形の“整っていないこと”には敏感なのに、心の不完全さ・不徳については平気でいる――この倒錯を鋭く批判しています。
くすり指が曲がっていたら…それでも治したいと思う人間心理
孟子は語ります:
「今、くすり指(=無名指)が曲がってしまい、まっすぐに伸びないとする。
それが痛いわけでもなく、生活に支障があるわけでもない。
だが、それをまっすぐに治せる人がいると言われたら、
人は秦や楚のような遠方にも行って治してもらおうとするだろう」
その理由は、
「他人より劣っているのが“恥ずかしい”と感じるから」
つまり、「人並みであること」に対する意識が、ここでは強く働いているのです。
心の歪みは“恥ずかしい”と思わないのか?
しかし孟子は、ここで逆転の問いを投げかけます:
「指が人並みでないと恥ずかしいと思うのに、
心が人並みでないことは、なぜ恥ずかしいと思わないのか?
これは“類(たぐい)”――大切なものの区別がついていないということだ」
孟子の言う「類を知らず」とは、本質と枝葉、副次的なものの重さを取り違える愚かさを指します。
- 身体の不完全さより、心の不完全さの方が重大。
- それでも人は“指のゆがみ”には金も時間もかけるのに、
“心のゆがみ”には無関心でいられる。
これは、**人間が本来持っているべき「徳への羞恥心」**が鈍っていることの表れです。
出典原文(ふりがな付き)
孟子(もうし)曰(いわ)く、今無名(むめい)の指(ゆび)、屈(ま)げりて信(の)びざる有(あ)り。
疾痛(しっつう)して事に害(がい)あるに非(あら)ざるなり。
如(も)し能(よ)く之(これ)を信(の)ばす者有らば、則(すなわ)ち秦・楚(しん・そ)の路(みち)をも遠しとせず。
指の人に若(し)かざるが為(ため)なり。
指の人に若かざるは、則ち之を悪(にく)むことを知る。
心の人に若かざるは、則ち悪むことを知らず。
此(こ)れ之(これ)を類(たぐい)を知らずと謂(い)うなり。
注釈
- 無名の指:くすり指(薬指)。名がない=日常の主役ではない指。
- 信(の)ぶ:まっすぐに伸びること。ここでは「正常である」ことを意味。
- 秦・楚:いずれも遠方の国。東の斉から見て、西と南のはるか遠国。
- 類を知らず:大切なことと取るに足らぬことを取り違える。価値判断の根本的誤り。
パーマリンク候補(英語スラッグ)
care-more-about-your-heart
「心の方をもっと気にせよ」という主張をそのまま英語で表現。
その他の候補:
- twisted-heart-vs-twisted-finger(歪んだ指より歪んだ心)
- know-what-matters(何が大切かを知れ)
- value-the-inner-over-the-outer(外見より内面を重んじよ)
この章は、孟子が語る**「心の修養」を第一とする思想の核心が短い言葉の中に凝縮されています。
“本当に大切なことは何か”を見極められる眼こそが、徳を磨く第一歩。
それは、見た目や利害のためではなく、「自分に恥じない心を持ち続けるための努力」**として、学びや省察が必要であるという孟子からの強いメッセージです。
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