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最期に残るものを思えば、何が大切か見えてくる

樹木は枯れ果て、根だけが残ったときに初めて、
それまで美しく咲いていた花や、青々と茂った枝葉が、
いかにはかないものであったかがわかる。

人間もまた、いよいよ棺に納められる段になってようやく、
生前あれほど大切にしていた子どもや財産、地位や名誉などが、
何一つとして墓場まで持って行けるものではなかったことに気づく。

「樹木(じゅもく)は根(ね)に帰(き)するに至(いた)って、而(しか)る後(のち)に華萼(かがく)枝葉(しよう)の徒栄(とえい)なるを知(し)る。人事(じんじ)は棺(かん)を蓋(おお)うに至って、而る後に子女(しじょ)玉帛(ぎょくはく)の無益(むえき)なるを知る。」

どれほど美しく、豊かで、輝かしいものであっても、
この世の栄華はすべて一時のもの。
死の間際に手元に残るものは、財産でも名声でもなく、
生き方そのものの「真実さ」だけである。


※注:

  • 「華萼(かがく)」…花とがく。植物の美しい部分の象徴。
  • 「徒栄(とえい)」…むなしい栄華。実を伴わない一時の繁栄。
  • 「子女玉帛(しじょぎょくはく)」…子どもや財宝のこと。古代中国で価値あるものとされたが、本質的には無益であるとする。
  • ※西郷隆盛の「児孫の為に美田を買わず」の精神にも通じる。死後に残すべきは財ではなく、生き様である。

原文

樹木至歸根、而後知華蕚枝葉之徒榮。
人事至蓋棺、而後知子女玉帛之無益。


書き下し文

樹木は根に帰するに至って、しかる後に華蕚(かがく)・枝葉の徒(いたず)らに栄えるを知る。
人事(じんじ)は棺を蓋(おお)うに至って、しかる後に子女・玉帛(ぎょくはく)の無益なるを知る。


現代語訳(逐語/一文ずつ訳)

「樹木が枯れて根に戻る時、はじめて花や葉の美しさは一時の栄えにすぎなかったと気づく」
→ 木がその生命を終えるとき、花や枝葉の美しさがいかに儚いかを思い知る。

「人の一生が終わって棺を閉じるとき、子どもや財宝が何の役にも立たないと悟る」
→ 死に直面して初めて、子孫や財産が本質的には人生の意味を支えるものではないことが明らかになる。


用語解説

  • 歸根(きこん):文字通り「根に帰る」、転じて「生命の終わり」「死」の比喩。
  • 華蕚(かがく):花びら。華やかさ、美しさの象徴。
  • 枝葉(しよう):副次的なもの、装飾や繁栄の象徴。
  • 徒榮(とえい):むなしい繁栄。形だけの栄華。
  • 蓋棺(がいかん):棺を閉じる、すなわち死を迎えること。
  • 子女玉帛(しじょぎょくはく):子どもたちや財宝。世俗的成功や幸福の象徴。
  • 無益(むえき):役に立たない。死後には無価値であること。

全体の現代語訳(まとめ)

木が命を終えて根に還るとき、花や枝葉の華やかさが一時的な虚飾でしかなかったことに気づく。
人もまた、死して棺に入るとき、子どもや財宝といった世の成功や所有が何の助けにもならないことを知る。


解釈と現代的意義

この章句は、**「人生の本質は終わりを前にして初めて見える」**という深い洞察を提示しています。

  • 「華やかさ」や「富・家族の多さ」など、外見的・数値的な繁栄は、本質的価値とは無関係
  • 生の終焉において問われるのは、どう生きたか/どう在ったかであり、「何を持っていたか」ではない。
  • これは、“本質に立ち返れ”という倫理的警鐘でもあります。

ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)

1. 「成果主義の限界と“在り方”の大切さ」

短期的な成果(売上・賞与・地位)は、まさに“華蕚枝葉”にあたる。
最終的に問われるのは“どれだけ信頼されていたか”“どのような影響を与えたか”という根本の人間性である。

2. 「キャリア設計における本質的ゴールの見直し」

「家を買いたい」「役職に就きたい」といった目標も悪くはないが、
死を迎える時にそれらが本当に価値あるものだったかと問える“内面的な豊かさ”が不可欠

3. 「企業文化の視点」

短期の成長・拡大ばかりを追い求めると、企業は枝葉ばかり繁らせて根が弱くなる。
“志”や“理念”といった“根”を深める文化が、永続的価値を育む


ビジネス用の心得タイトル

「華より根を──人生の価値は、最後にこそ問われる」


この章句は、死生観を通して“何を大切にすべきか”を問いかける人生の教訓です。
それは、ビジネスにおいても人生設計においても、「本質を見失うな」というメッセージとなって響きます。

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