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師を残して、弟子が先に死ねようか

命の危機の中でこそ、師弟の絆が試される

孔子が匡(きょう)の地で、誤解から兵士たちに包囲され、命の危機にさらされたことがあった。
この混乱の中、愛弟子の顔淵(がんえん)は一行とはぐれて行方不明になってしまう。

やがて、顔淵が遅れて追いついてきたとき、孔子は安堵とともにこう言った。

「お前が死んでしまったのではないかと、本当に心配したよ」

顔淵は、少しも動じることなく、静かに、しかし力強く答えた。

「先生がご無事なのに、この私が先に死ぬわけにはいきません」

この短いやりとりに、弟子としての誠と覚悟、そして師に対する絶対的な忠義が凝縮されている。
孔子の教えは理論にとどまらず、こうした生死を賭けた局面でも支えとなるものであり、
顔淵はまさに**“死をもって師に仕える”**という精神を体現した弟子であった。


引用(ふりがな付き)

子(し)、匡(きょう)に畏(おそ)る。顔淵(がんえん)、後(おく)る。
子(し)曰(い)わく、「吾(われ)、女(なんじ)を以(もっ)て死(し)せりと為(な)す」
曰(い)く、「子(し)在(いま)す。回(かい)、何(なん)ぞ敢(あ)えて死(し)せん」


注釈

  • 匡に畏す:孔子が魯の陽虎と誤認され、匡の兵に包囲され命の危険に晒された事件。
  • 女(なんじ)を以て死せりと為す:お前が死んでしまったのではないかと心配した、という意味。
  • 子在す。回、何ぞ敢えて死せん:「先生が生きておられる以上、弟子の私が勝手に死ぬなど許されない」という忠誠の表現。
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