目次
■引用原文(日本語訳)
第一〇章 暴力(ダンダヴァッガ)第136偈
しかし愚かな者は、悪い行ないをしておきながら、気がつかない。
浅はかな愚者は自分自身のしたことによって悩まされる。
火に焼きこがされた人のように。
(『ダンマパダ』第136偈)
■逐語訳
- 愚かな者は、悪い行ないをしておきながら、気がつかない:愚者は自らの非を省みず、悪行をしていることにも無自覚である。
- 浅はかな愚者は自分自身のしたことによって悩まされる:愚か者は自らの行為が原因となって、やがて苦しむことになる。
- 火に焼きこがされた人のように:その苦しみは激しく、耐えがたいものとなる。
■用語解説
- 愚かな者(バーラ):仏教でいう「愚者」とは、単に知識がない人ではなく、「因果の法則に無知である者」、すなわち行いの結果に無自覚な人を指す。
- 悪い行ない(パーパ・カンマ):害をなす行為。言葉・態度・心の状態を含む、身体的・道徳的な悪行。
- 火に焼かれる:ここでは比喩。因果応報の苦しみが、肉体的・精神的に激しく感じられることを表す。
■全体の現代語訳(まとめ)
愚か者は、自らが悪い行為をしていることに気づかない。そしてその行いの結果が自分自身に返ってきたときに、はじめて激しい苦しみの中に置かれることになる。それはまるで、火に焼かれてしまった人のような深い痛みである。
■解釈と現代的意義
この偈は、無知と無自覚の危険性を警告しています。
仏教では、悪行をしたからすぐに苦しむとは限らないとされます。因果の結果は時に遅れて現れます。そのため、愚者は「自分は大丈夫だ」と思い込み、結果的に深い苦悩へと陥るのです。
この教えは、「気づき」こそが智慧であり、「自分の行為を省みること」こそが修行の第一歩であることを示唆しています。自覚なき悪意や慢心が、どれほど大きな苦しみを生むかという警鐘です。
■ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
慢心・独善のリスク | 自分のやり方が正しいと過信し、周囲の指摘に耳を貸さない人は、やがて信用や成果を失う。 |
隠されたリスクの軽視 | 不正・ごまかし・倫理違反は、短期的に発覚しなくても、いつか大きな損失や信用失墜として返ってくる。 |
セルフチェックと内省の習慣 | 日々の仕事の中で、「これは正しい行動か?誰かを傷つけていないか?」と省みる習慣を持つことが、真のプロフェッショナリズムにつながる。 |
■心得まとめ
「気づかぬ罪が、いちばん深く燃え上がる」
ブッダは、「してしまった悪」ではなく、「気づいていないこと」そのものが最大の問題であると教えています。
火に焼かれるような苦しみを避ける唯一の道は、今この瞬間に、自らの行為を照らし返すことです。
無自覚な傲慢や無神経な言動が、やがて自分自身を傷つける――それを知る者だけが、本当の強さと平安に至るのです。
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