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燃える火のごとく、執着を焼き尽くして歩む者


■ 引用原文(日本語訳)

修行僧は、つとめはげむことを楽しみ、
放逸のうちに恐ろしさを見、
微細なものでも粗大なものでも、すべて心の纏(まとい)を、
焼きつくしながら歩む。燃える火のように。

――『ダンマパダ』第四章「はげみ」第29節


■ 逐語訳(一文ずつ現代語訳)

  1. 修行僧(比丘)は、努力することに喜びを見出す。
     精進は単なる義務ではなく、心からの歓びと自覚を伴う生き方である。
  2. 怠惰(放逸)には破滅の兆しを見、常に自戒する。
     だらけた生活がもたらす危険性を認識しており、それを避ける姿勢を保つ。
  3. 微細であろうと粗大であろうと、あらゆる心の纏(煩悩・執着)を焼き尽くして進む。
     大きな欲望だけでなく、微細な思い癖や心の曇りさえも、自らの精進の炎で燃やし尽くす。
  4. それは、燃え盛る火があらゆるものを焼き払うように、力強く、清めながらの歩みである。

■ 用語解説

用語解説
修行僧(比丘)仏道に生きる者、または現代での自己鍛錬を実践する者。
つとめはげむ(精進/ヴィーリヤ)仏道の中核をなす徳目で、継続的な努力・意志。
放逸(プラマーダ)自分を見失った怠惰・不注意の心。
心の纏(サンヨジャナ)煩悩、執着、錯覚など、心を縛る束縛。微細なもの(例:無自覚な慢心)も含む。
火のように浄化の象徴。あらゆる不純を焼き尽くす厳しくも力強い存在。

■ 全体の現代語訳(まとめ)

努力することを心から喜び、怠惰を恐れて避ける修行者は、
どんなに小さな執着や心の迷いでも見逃さず、
一歩ずつ、それらを焼き尽くしながら前に進む。
その歩みはまるで、すべてを焼き尽くし清める炎のように、
確実で清らかで、強靭である。


■ 解釈と現代的意義

この節が伝えるのは、**「徹底した内面の清浄化」**です。
修行や努力とは、目に見える結果だけでなく、
心の微細な乱れや執着までも見つめ、取り除いていく実践であるとされます。

現代社会でも、表面的な行動では「うまくやっている」ように見えても、
心の中には慢心・執着・不安・苛立ちなど、微細な“まとわり”が存在します。
それらに気づき、燃やし尽くしていく――このプロセスにこそ、
本当の成長と自由があるのです。


■ ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
心の癖の自覚と克服小さなこだわりや無意識の偏見も、自己成長の障害になる。
継続的な自己刷新昨日の思考ややり方に安住せず、今日も自らを鍛え直す。
内面の清浄化と影響力雑念なくまっすぐに進む人は、周囲に安心と信頼を与える。
燃えるような意志妥協せずに、徹底して心の整備を行う姿勢は、真のリーダーシップに通ずる。

■ 心得まとめ

「燃ゆるはげみは、心の塵までも焼き尽くす」

表面的な成功ではなく、
心の奥底まで澄みきった状態を目指す者は、
努力を楽しみ、怠惰を恐れ、
一歩ごとに煩悩を焼き尽くして進む――
それは、誰にも止められない、清らかなる火のような道である。


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