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泡と陽炎の身を悟り、死の支配を超えて歩め


■ 引用(出典)

一八*
この身は沫(あわ)のようなものであると知り、
陽炎のようなはかない本性のものであると、さとったならば、
この世で悪魔の花の矢を断ち切って、
死王に見られない*ところへ行くであろう。
(『ダンマパダ』第18章 第18偈)


■ 逐語訳

  • この身体というものは、水面の泡のように脆く儚いと理解し、
  • また陽炎のように、実体のない幻のような存在であると深く悟ったならば、
  • 欲望や煩悩という「悪魔の花の矢」を断ち切り、
  • 死王(死の支配者、無常)すら見ることのできない境地――
  • すなわち、涅槃・解脱の地へと至るであろう。

■ 用語解説

用語解説
沫(あわ)一瞬で消える水の泡。身体の儚さ・壊れやすさの象徴。
陽炎(かげろう)実体のない視覚的現象。世の事象が空(くう)であることを示す。
悪魔の花の矢欲望・愛執・感覚的誘惑など、心を乱し縛る要因。
死王(ヤマ)生命の終わり、または輪廻と無常を支配する存在の象徴。
見られないところへ行く輪廻と死の束縛を脱した、悟りの境地(涅槃)を表す。

■ 全体現代語訳(まとめ)

自分の身体が泡のように儚く、
陽炎のように幻の本質を持つと悟ったなら、
欲望という煩悩の矢を断ち、
死の力さえ及ばぬ、静寂なる自由の地に至るであろう。


■ 解釈と現代的意義

この偈は、前偈と共に「自己とは何か」という根源的な問いに向き合い、実体がないからこそ自由になれるという逆説的な解放を説いています。

「身体が壊れる」ことや「この世が幻である」という認識は、決して虚無ではありません。むしろそれは、「だからこそ、何に心を留め、何を手放すか」が問われる道です。

現代においては、健康・見た目・地位・財産などへの執着が日常的に喚起される社会に生きる私たちにとって、この偈は深い“軸”を与えてくれます。


■ ビジネスにおける解釈と適用

観点応用の仕方
身体や外見への過剰な投資の見直し健康や印象も大切だが、内面的価値・人格・目的意識の方が持続可能な資産である。
成果主義の幻想からの離脱数字・成果・報酬は陽炎のように移ろうもの。執着しすぎず、やるべきことに集中する姿勢が重要。
死と変化への準備常に「今」が最後でも後悔しない仕事をする意識は、判断と行動に深みをもたらす。
執着の見極め失敗への恐れや評価への依存など、煩悩の“矢”を見極めて断つことで、ブレない働き方ができる。

■ ビジネス心得タイトル

「泡のごとき身に、花のごとき智慧を宿せ」

身体も、欲も、成果も――
すべては泡のように生じては消える。
ならば、執着するよりも、今ここに智慧を咲かせよ
それが死すらも及ばぬ、高みに至る道なのだ。


この第十八偈は、「身」「欲望」「死」というテーマを、あたかも詩のように静かに、しかし鋭く説き明かします。

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