孟子は、舜の兄弟愛を極限まで描いたエピソードを通じて、人間としての深い情の在り方を説いた。
父母と弟象に命を狙われたにもかかわらず、舜は象に怒らず、憎まず、なお兄としての思いやりをもって接し続けた。
象が喜べば共に喜び、象が悲しめば共に悲しむ――それは、聖人たる舜の「兄弟の情」であり、理ではなく心で結ばれた道義だった。
原文と読み下し
万章(ばんしょう)曰(いわ)く、父母(ふぼ)舜(しゅん)をして廩(りん)を完(まっと)うせしめ、階(はしご)を捐(す)つ。瞽瞍(こそう)廩を焚(や)く。井(い)を浚(さら)えしむ。出(い)づ。従(したが)って之(これ)を揜(おお)う。
象(しょう)曰く、都君(とくん)を蓋(おお)うことを謨(はか)るは、咸(ことごと)く我(われ)が績(せき)なり。牛羊は父母、倉廩(そうりん)は父母、干戈(かんか)は朕(ちん)、琴(きん)は朕、弤(てい)は朕、二嫂(にそう)は朕が棲(すみか)を治(おさ)めしめん、と。
象、往(ゆ)きて舜の宮(きゅう)に入(い)る。舜、牀(しょう)に在(あ)りて琴(こと)ひけり。象曰く、鬱陶(うっとう)として君を思うのみ、と。忸怩(じくじ)たり。
舜曰く、惟(こ)れ茲(ここ)の臣庶(しんしょ)、汝(なんじ)其(そ)れ予(われ)に于(お)いて治(おさ)めよ、と。
識(し)らず、舜は象の将(まさ)に己(おのれ)を殺さんとするを知らざるか。曰く、奚(なん)ぞ知らざらんや。象憂(うれ)うれば亦(また)憂え、象喜(よろこ)べば亦喜ぶのみ。
解釈と要点
- 舜は、自分の命を奪おうとした弟象にさえも情をもって接し、その殺意を責めることなく迎え入れた。
- 象が「兄を思って来た」と取り繕う言葉に対し、舜はそれを否定せず、共に政(まつりごと)を担うように誘った。
- 舜は弟の過ちを知っていたが、それを咎めず、むしろその感情に寄り添い続けた。
- これは、「理性ではなく、情をもって兄弟を包み込む」あり方を示しており、孟子が理想とする聖人の姿である。
注釈
- 瞽瞍(こそう):舜の父。目が見えないとされ、舜に嫉妬し殺意を抱く。
- 出づ:井戸の中から脱出すること。『史記』では横穴を掘って抜け出したとある。
- 揜う(おおう):土をかぶせて閉じ込める。
- 象(しょう):舜の異母弟。財産と兄嫁を得ようと舜を殺そうとした。
- 干戈・琴・弤:武器・楽器・弓など、舜の財産。象が自分のものと主張。
- 忸怩(じくじ):気がとがめ、恥ずかしさを覚える様子。
- 予に于いて治めよ:私と一緒に政治を執れ、という舜の寛大な呼びかけ。
パーマリンク(英語スラッグ)
brotherly-love-beyond-betrayal
→「裏切りを超える兄弟愛」という主題を端的に表現したスラッグです。
その他の案:
shun-and-the-bond-of-blood
(舜と血の絆)mercy-for-a-murderous-brother
(殺意を持った弟への慈しみ)emotion-before-judgment
(裁きより情を優先する心)
この章は、孟子が語る「大孝」の精神を兄弟関係にまで昇華させた、非常に深い倫理観を象徴するエピソードです。
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