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■引用原文(『ダンマパダ』第二一章 第二九四偈)
「妄愛」という母と、「われありという慢心」である父とをほろぼし、永久に存在するという見解と滅びて無くなるという見解という二人の武家の王をほろぼし、主観的機官と客観的対象とあわせて十二の領域である国土と「喜び貪り」という従臣とをほろぼして、バラモンは汚れなしにおもむく。
――『ダンマパダ』 第二一章 第二九四偈
■逐語訳(一文ずつ訳す)
- 「妄愛という母と、われありという慢心である父とをほろぼし」
――愛着や執着という感情を「母」とし、自己中心的な誇りや我見を「父」とし、それらを克服し、 - 「永久に存在するという見解と滅びて無くなるという見解という二人の武家の王をほろぼし」
――存在に対する二つの極端な誤見(常見と断見)を排除し、 - 「主観的機官と客観的対象とあわせて十二の領域である国土と、喜び貪りという従臣とをほろぼして」
――認識を成り立たせる六つの感覚器官とその対象(六境)=十二処を超越し、貪欲の感情すら捨て去って、 - 「バラモンは汚れなしにおもむく」
――真理を得た人(聖者=バラモン)は、一切の煩悩を離れて清らかに歩んでゆく。
■用語解説
- 妄愛(マーラ):
母に象徴される存在。愛着・執着・情欲など、解脱を妨げる感情的執念。 - 慢心(アハンカーラ):
父に象徴される。自己への執着・自我意識・優越感。 - 常見と断見:
「すべては永遠に存在する」とする誤った見解(常見)と、「すべては死んだら終わり」とする虚無主義的な見解(断見)。どちらも中道から外れた思考。 - 十二処(じゅうにしょ):
六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)と六境(色・声・香・味・触・法)の相互作用から生じる「知覚世界」の構造。 - 喜び貪り(ラーガ):
欲望・執着・感覚的満足への強い渇望。 - バラモン(ここでは解脱者の意味):
生まれのカーストではなく、真の意味での「煩悩を滅した聖者」。
■全体の現代語訳(まとめ)
「妄愛」と「慢心」という心の親を断ち、誤った世界観である「永遠不滅」と「死ねば終わり」という二つの思想を滅し、感覚とその対象による世界の縛り(十二処)を超えて、さらには「喜びへの貪り」さえ捨て去ったとき、人は真に自由な存在となる――仏教における“聖なる歩み”がここに示されている。
■解釈と現代的意義
この偈は、日常的に無自覚にとらわれている「内なる家族」――愛着、自己愛、極端な世界観、感覚への執着――を一つ一つ見つめ、それらを乗り越えてこそ、本当に自由な精神状態に至ることができると示しています。
私たちが「当たり前」と思っている考え方の多くは、実は心を縛る“煩悩の家族”に他なりません。
この偈は、個人の精神的成熟とは「一つひとつの思い込みと向き合う勇気」によって実現されると教えてくれます。
■ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
エゴの克服 | 自分の意見が常に正しいと思い込むリーダーは組織を誤らせる。慢心を捨て、耳を傾ける姿勢が信頼を生む。 |
常識や固定観念の超越 | 「この業界はこうだから」といった思考停止は成長を止める。常見・断見を乗り越えた柔軟な発想が革新を生む。 |
感覚刺激への依存からの脱却 | 「やりがい」「報酬」だけで行動していると燃え尽きる。本質的な使命感が持続的な成長につながる。 |
自己内省と整理 | 感情・執着・惰性・習慣を一つずつ見直し、「心の棚卸し」をすることで、クリアな判断力と方向性が生まれる。 |
■心得まとめ
「煩悩の親子を断ち、真理の旅人となれ」
心を曇らせるのは、外の敵ではない。
甘い愛着と、傲慢な自己、極端な思想、欲望への執着――
それらを一つひとつ見つめ、断ち切ってこそ、
私たちは初めて「自分自身の道」を清らかに歩み始めることができる。
真の自由は、心の構造を深く理解し、整えるところから始まる。
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