危篤の床にあった曾子(そうし)は、最期の言葉として弟子たちに語った。
自らの足と手を見せ、「詩経」にある戒めの言葉――“深淵を覗くように、薄氷を踏むように慎重であれ”――を引きながら、自分がいかに親から授かった身体を大切にしてきたかを説いた。
それは単なる自己管理ではない。
親への感謝と敬意のあらわれであり、孝(こう)のはじまりである。
命が尽きようとする今、やっとこの務めから解放される――。
そう言い残した曾子の言葉には、孝の本質と人生の締めくくり方が凝縮されている。
原文と読み下し
曾子(そうし)、疾(やまい)有(あ)り。門弟子(もんていし)を召(まね)きて曰(い)わく、予(われ)が足(あし)を啓(ひら)け、予が手(て)を啓け。詩(し)に云(い)う、戦戦兢兢(せんせんきょうきょう)として、深(ふか)き淵(ふち)に臨(のぞ)むが如(ごと)く、薄(うす)き氷(こおり)を履(ふ)むが如し、とあり。而今而後(じこんじご)、吾(われ)免(まぬか)れしを知るかな、小子(しょうし)。
注釈
- 曾子(そうし):孔子の高弟。孝を重んじる姿勢で知られる人物。
- 予(われ)が足を啓け、予が手を啓け:弟子に自分の足と手を見せる。傷一つなく保ったことを確認させる所作。
- 戦戦兢兢(せんせんきょうきょう):非常に慎重であるさま。「おそるおそる」「細心の注意を払う」こと。
- 如臨深淵、如履薄冰:深い淵を覗くように、薄い氷の上を歩くように――それほど注意深く慎むべし、という教訓。
- 而今而後(じこんじご):今この時をもって、以後はこの義務から解放される。
- 免れしを知るかな:身体を傷つけることなく守り抜いた。それにより「親への責務を果たした」と自認する言葉。
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