MENU

甘きは仮の味、苦きは真の報い


目次

■引用原文(日本語訳)

愚かな者は、悪いことを行なっても、その報いの現われないあいだは、それを蜜のように思いなす。
しかしその罪の報いの現われたときには、苦悩を受ける。
——『ダンマパダ』第5章 第69偈


■逐語訳

  • 愚かな者は:先を見通す智慧を欠いた人は、
  • 悪いことを行なっても:道徳に反する行為、自己や他者を害する行動をしても、
  • その報いの現われないあいだは:因果応報の結果がまだ目に見えないうちは、
  • それを蜜のように思いなす:その行いを甘美なもの、楽しいもの、得をしたかのように感じてしまう。
  • しかしその罪の報いの現われたときには:やがて果報が現実化するときが来たならば、
  • 苦悩を受ける:その代償として深い苦しみを味わうことになる。

■用語解説

  • 愚かな者(バーラ):短期的な快楽や利益に飛びつき、長期的な結果を省みない人物。
  • 蜜(マッダヴァ):比喩的に「快楽・甘さ・一時の幸福」を象徴。
  • 罪の報い(アクサラ・ヴィパーカ):悪業の結果として生じる精神的・現実的な苦しみ。
  • 苦悩(ドゥッカ):仏教における根本的な苦しみ。満たされない・破綻する・後悔するという形で現れる。

■全体の現代語訳(まとめ)

愚かな者は、悪しきことをしても、すぐに罰や苦しみが現れないうちは、
まるでそれが甘い蜜のように、自分にとって好ましい行為だったと錯覚する。
しかし、やがてその行為の報いが現れたとき――
そのときには、彼は深い苦悩と後悔をもってその代償を払うことになる。


■解釈と現代的意義

この偈は、「因果の法則」のタイムラグがもたらす“誤認”に対しての警鐘です。
悪い行為をした直後に何も起きないと、人はそれを「問題ない」「得だった」と思い込みやすい。
しかし、仏教ではすべての行為が原因となり、やがて「果(報い)」が熟して現れるとされます。
見えないからといって、ないわけではない。
それは、悪しき種をまいて「まだ芽が出ていない」だけなのです。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
不正・ごまかしバレなければ大丈夫と思っても、信頼や評判が時間差で損なわれる。「今うまくいってるから問題ない」と思う油断は危険。
短期志向長期的な損失につながる行為(過剰販売・環境破壊・無理な拡大)を“今うまくいっている”という理由で肯定しない。
態度と習慣小さな怠惰や軽率な言動は、すぐには問題にならないが、後々の信用・人間関係に大きな禍根を残す。
経営倫理顧客や取引先との不誠実な関係も、しばらくは利益をもたらすが、最終的には損失として返ってくる。

■心得まとめ

「すぐに苦しまぬことが、善い行為とは限らない」
一時の快楽や成功が甘く感じられるときこそ、立ち止まって見直すべきである。
本当に善き行いは、時を経ても後悔がなく、実を結ぶ。
今の甘さに酔わず、未来に苦しまぬ種をまく――それが智慧ある行動である。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次