目次
📖引用原文(日本語訳)
一六*
身体を壊り、
表象作用と感受作用とを静めて、
識別作用を滅ぼすことができたならば、
苦しみが終滅すると説かれる。
🔍逐語解釈と用語の意味
この句は、仏教の「五蘊(ごうん)=人間存在を構成する五つの要素」を前提に読まれるべき内容です。
概念 | 解釈 |
---|---|
身体(色蘊) | 肉体的な存在、物質的な身体(形や感覚器官) |
表象作用(想蘊) | 物事の姿を認識する機能。「これは〇〇である」とイメージを結ぶ心の働き。 |
感受作用(受蘊) | 快・不快・中立など、対象に触れて生じる感覚的な受けとめ。 |
識別作用(識蘊) | 対象を知り分ける認識・意識の働き。主観的に「私が経験している」と感じる源。 |
滅する/静める | それらの機能に執着せず、働きを止める=煩悩の根源に対する解脱。 |
🧘♂️全体の現代語訳(まとめ)
人間の身体(色)という器を手放し、
心の中の「イメージ作用(想)」や「快不快の感覚(受)」も静かに鎮め、
最終的には「自分が見ている/知っている」と感じる意識そのもの(識)をも滅することができたならば――
そこにこそ、苦しみの終滅(ニルヴァーナ)があると説かれている。
💡解釈と現代的意義
この句は、「私」という意識の構成を解体することで苦しみが終わるという、仏教の根幹的な洞察を示しています。
私たちが「苦しい」と感じるのは、
- 身体があるから苦しみを感じる
- 快・不快の感受によって心が波立つ
- イメージによって「こうあるべき」という観念に縛られる
- 意識(識)によって「自分が経験している」と捉えるからこそ、執着と恐れが生まれる
すなわち、これら五蘊に「自己」があると誤認していることが苦しみの根源なのです。
この誤認を静かに解体し、すべての作用が自然に止まったとき、人はついに苦から解放される――
それがこの句の深遠なメッセージです。
💼ビジネスにおける適用
観点 | 適用内容 |
---|---|
「私はこう見られている」という想念からの自由 | イメージや期待に縛られず、今の業務と静かに向き合うことでストレスを軽減。 |
感情的判断からの脱却 | 快不快の反応(受)をもとに行動せず、理性と事実に基づいて判断する姿勢。 |
意識の静止と集中力 | 脳内のおしゃべり(思考)を鎮め、静かに一点に集中することで創造的な仕事が生まれる。 |
“私”という立場に執着しないリーダーシップ | 自分の立場・肩書きにこだわらず、組織や目的のために自他を超えた意思決定ができる人物は、強く尊敬される。 |
✅心得まとめ
「色・想・受・識――それらを越えた静けさの先に、苦しみのない世界がある」
肉体や感情、思考や意識――
それらはすべて流れ、変わり、消えていくもの。
それに執着し、「自分」だと思い込むから、苦しみは生まれる。
それらの働きを静かに鎮め、滅しきったとき、
苦しみもまた、静かに消えていく。
この句は、仏教における五蘊・無我・解脱の核心を直球で表現した珠玉の一句です。
コメント