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人の好悪を越えて、天性のままを見るまなざし

人情の見方であれば、鶯(うぐいす)の鳴き声には美しさを感じて喜び、
蛙(かえる)の鳴き声には騒々しさを感じて嫌がる。

また、華やかな花を見れば、それを育てたいと望み、
雑草を見れば、それを抜いてしまいたくなる。

しかしそれらは、人の好みによって「良い・悪い」を判断する“表面的な見方”に過ぎない。

もしこれを、すべてのものに備わる“天性”のはたらきから見れば――
鶯も蛙も、花も草も、いずれも“自らの天機(てんき)=天のはたらき”を鳴らし、
“生意(せいい)=いのちの自然な表現”を伸びやかにあらわしているだけなのだ。

価値判断ではなく、存在そのものを尊重する――
これが、真に自然と共に生きる者のまなざしである。


引用(ふりがな付き)

人情(にんじょう)、鶯(うぐいす)の啼(な)くを聴(き)けば則(すなわ)ち喜(よろこ)び、
蛙(かえる)の鳴(な)くを聞(き)けば則ち厭(いと)う。
花(はな)を見(み)れば則ち之(これ)を培(つちか)わんことを思(おも)い、
草(くさ)に遇(あ)えば則ち之を去(さ)らんことを欲(ほっ)す。
但(ただ)是(こ)れ形気(けいき)を以(も)って事(こと)を用(もち)うるのみ。
若(も)し性天(せいてん)を以って之を視(み)れば、
何者(なにもの)か、自(おの)ずから其(そ)の天機(てんき)を鳴(なら)すに非(あら)ざらん。
自ずから其の生意(せいい)を暢(の)ぶるに非ざらん。


注釈

  • 形気(けいき):外見・感覚・物質的な側面。表面的な判断基準。
  • 性天(せいてん):万物に宿る本質的な「天性」や自然な在り方。宇宙的視野。
  • 天機(てんき):天のはたらき・自然の摂理・命のはたらき。
  • 生意(せいい):生命本来の勢い、いのちの表現。自己の生を全うしようとする力。

関連思想と補足

  • 本項は、「価値判断の超克」=人間の都合による美醜や善悪を超えたまなざしを示す名文です。
  • 『荘子』に見られる「斉物論(せいぶつろん)」――「万物斉しくして等し」――の思想と強く通じ合っています。
  • 『老子』にも「天地は仁ならず。万物を芻狗のごとくす」とあり、天は好き嫌いなくすべてを包み込むという見方が説かれています。
  • 現代においても、人種・性別・能力・文化的背景などによる価値判断を超え、“本質”を見る態度の重要性として受け止められます。

原文

人聽鶯啼則喜、聞蛙鳴則厭、
見花則思培之、見草則欲去之。
但是以形氣用事。
若以性天視之、何者非自鳴其天機、非自暢其生意也。


書き下し文

人情、鶯(うぐいす)の啼(な)くを聴けば則ち喜び、蛙(かわず)の鳴くを聞けば則ち厭(いと)う。
花を見れば則ち之を培(つちか)わんことを思い、草に遇えば則ち之を去らんことを欲す。
但(ただ)是れ形気(けいき)を以て事を用うるのみ。
若(も)し性天(せいてん)を以て之を視れば、何者か自ら其の天機(てんき)を鳴らすに非(あら)ざらん。
自ら其の生意(せいい)を暢(の)ぶるに非ざらん。


現代語訳(逐語/一文ずつ訳)

「鶯の啼くを聴けば則ち喜び、蛙の鳴くを聞けば則ち厭う」
→ 鶯の声を聞けば人は喜び、蛙の鳴き声を聞けば嫌がる。

「花を見れば之を培わんことを思い、草に遇えば之を去らんことを欲す」
→ 花を見れば育てたくなり、雑草を見れば引き抜きたくなる。

「但是れ形気を以て事を用うるのみ」
→ しかし、これはすべて外見や形、匂いといった「物質的な感覚」に基づいた判断にすぎない。

「若し性天を以て之を視れば、何者か自ら其の天機を鳴らすに非ざらん」
→ もし人の本性や天地の理(=性天)から物を見れば、鶯も蛙も、花も草も、それぞれが天から与えられた命の機微を自ら奏でているとわかるはずだ。

「自ら其の生意を暢ぶるに非ざらん」
→ それぞれが、命あるものとしての生の勢いをのびのびと発していることが見えてくるはずだ。


用語解説

  • 形気(けいき):形(見た目)や気(匂いや音)といった感覚的・物質的要素。表層的な五感に基づいた判断。
  • 性天(せいてん):人間の本来の性(自然性)と、天地自然の理(宇宙の真理)をあらわす。心の深い本質。
  • 天機(てんき):天地自然が内に秘めたはたらき、神秘的な命の理。
  • 生意(せいい):生命力、命あるものの自然なはたらき・躍動。

全体の現代語訳(まとめ)

人は、鶯の声を聞くと喜び、蛙の声を聞くと不快に感じる。
また、美しい花には手をかけたくなり、雑草は抜いてしまいたくなる。
これはすべて、外見や音・匂いといった感覚に基づいて判断しているにすぎない。
だが、もし物事を天地自然の視点、本質的な心(性天)から見れば、鶯も蛙も、花も草も、それぞれが天から与えられた生命の仕組みを自ら表現しているのだ。
どれもが、生き物としての命の躍動を発しているにほかならない。


解釈と現代的意義

この章句は、「人間の偏った美意識や快・不快の判断から脱し、命あるものすべてを本質的に見るべきだ」という自然観・生命観を説いています。

  • 鶯が良くて蛙が悪い、花が美しくて草が邪魔――これは感覚的・表面的な好悪にすぎません。
  • しかし禅的視点や道家の視野に立てば、すべての存在は**“天機”=自然の理の一端を担っている**のです。

この考え方は、多様性の尊重、自然との共生、そして物事の本質を見極める感性につながります。


ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)

1. 「好き嫌いで判断しない“本質主義”」

第一印象や声のトーン、外見的な条件で人や事業を判断することは、ビジネスでも多く見られます。
しかし、見た目の美しさや耳ざわりの良さではなく、“その人や事象が内に持つ本質的な価値”を見極める目が重要です。

2. 「多様な声・性格・働き方を“役割”として捉える」

カエルの声のように耳障りでも、それが生態系には必要不可欠なリズムであるように、組織における異質な意見や役割も、全体を活かすための要素です。
美しくなくとも機能している、華やかでなくとも必要とされている──そうした「草」の価値を理解できるリーダーが、組織を本質から強くします。

3. 「真価は“外”ではなく“働き”に宿る」

人材も商品も、外見や評判に左右されるのではなく、それが何を生み出しているのか=“生意を暢ぶる”視点が求められます。
一見無価値に見える業務・人・習慣にも、天機が宿っているかもしれません。


ビジネス用の心得タイトル

「目に見えぬ価値を聴け──真のはたらきは天機に宿る」


この章句は、「外の美しさ・快さに惑わされず、内なる自然の理に耳を澄ませよ」という静かな叡智を伝えています。


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