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歴史を見抜く眼を養う:名声の陰にある“志の到達点”を見よ

弟子の公孫丑は、なおも食い下がるように問うた。
「管仲は君主を覇者にし、晏子は君の名を天下にとどろかせました。それでも不十分だとおっしゃるのですか?」

孟子は即座に答える。
「その通りだ。斉のような強国であれば、覇者ではなく王者になることなど、手のひらを返すように簡単なことだったのだ」。

それでも納得のいかない公孫丑は、さらに例を挙げて反論した。
「あの文王でさえ、徳を備え、百年もの生涯を送りながら、王道を天下に行き渡らせることはできませんでした。それを子の武王や周公がようやく実現させたのです。
それほど難しい“王道”を、先生は『反(かえ)す手のように容易』とおっしゃる。だとすれば、文王の偉業は模範に値しないのではありませんか?」

孟子は、この問いに対して明確に答えなかったが、読み取れるのはこうだ。
王道を実現するための「志」と「構え」があるかどうかが最も重要なのであって、功績や時運だけでは評価できない。
表面の成功に惑わされず、目指した理想の高さこそを尺度に据える眼――それこそが歴史を正しく見るために必要なのだ。


原文(ふりがな付き引用)

「曰(いわ)く、管仲(かんちゅう)は其(そ)の君(きみ)を以(もっ)て覇(は)たらしめ、晏子(あんし)は其の君を以て顕(あらわ)れしむ。
管仲・晏子は猶(なお)為(な)すに足(た)らざるか。
曰(いわ)く、斉(せい)を以て王(おう)たるは、由(よ)りて手(て)を反(かえ)すがごときなり。
曰(いわ)く、是(かく)の若(ごと)くんば、則(すなわ)ち弟子(ていし)の惑(まど)い滋(ますます)甚(はなは)だし。
且(か)つ文王(ぶんおう)の徳(とく)、百年(ひゃくねん)にして後(のち)崩(ほう)ずるを以(もっ)てしてすら、猶(なお)未(いま)だ天下(てんか)に洽(あまね)からず。
武王(ぶおう)・周公(しゅうこう)之(これ)に継(つ)ぎ、然(しか)る後(のち)大(おお)いに行(おこな)わる。
今(いま)王(おう)たるを言(い)うこと然(しか)し易(やす)きが若(ごと)し。
則(すなわ)ち文王(ぶんおう)は法(のり)るに足(た)らざるか。」


注釈(簡潔版)

  • 覇(は):諸侯の盟主的立場。力や制度による秩序を重視した統治。例:斉の桓公、晋の文公など。
  • 王(おう):古代の聖王(堯・舜・禹など)に見られる、徳をもって民を治める理想的な統治者。
  • 文王(ぶんおう):周の創建者・武王の父。仁徳に優れながらも、理想の統治実現は息子たちに託すこととなった。
  • 洽(あまね)し:広く行き渡ること。
  • 反手(はんしゅ):手のひらを返すように。容易なことのたとえ。

1. 原文

曰、管仲以其君霸、晏子以其君顯、管仲・晏子不足爲與。
曰、以齊王、由反手也。
曰、若是、則弟子之惑甚。
且以文王之德、百年而後崩、未洽於天下、武王・周公繼之、然後大行。
今言王若易然、則文王不足法與。


2. 書き下し文

曰く、管仲は其の君を以て覇たらしめ、晏子は其の君を以て顕れしむ。
管仲・晏子は、猶(なお)為すに足らざるか。
曰く、斉を以て王たるは、手を反すがごときなり。
曰く、是のごとくんば、則ち弟子の惑い甚だし。
且つ文王の徳を以てすら、百年して後に崩じて、なお天下に洽(あまね)からず。
武王・周公これに継ぎ、然る後に大いに行わる。
今、王たるを言うこと、易きがごとし。
則ち文王は法るに足らざるか。


3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)

  • (弟子が問う)「管仲は斉の君主を覇者にし、晏子は君主を顕名にしました。彼らは十分立派ではないのですか?」
  • (孟子が答える)「斉で王道政治を行うことは、手のひらを返すように容易いことだ。」
  • (弟子)「それほど容易ならば、私はかえって混乱してしまいます。」
  • 「たとえば文王のような徳を備えた人ですら、百年経って崩御したあとでも、まだ天下は完全に治まっていなかった。」
  • 「それを継いだ武王と周公が努力して、ようやく王道が広く行き渡った。」
  • 「今、あなたは王道を行うことが簡単であるかのように言うが、それでは文王は模範とするに足りないということになりますか?」

4. 用語解説

  • 霸(は):覇者となる。道義ではなく、武力や権謀を背景に諸侯を従える政治。
  • 顯(けん):名を高める、世に知られるようにする。
  • 爲與(ためにあずかる):共に語るに足る。協力者として認めること。
  • 反手(はんしゅ):手をひっくり返すこと。転じて「きわめて容易なこと」の喩え。
  • 洽(あまね)し:行き渡る。普く行き届く。
  • 大行(たいこう):王道政治が大いに実施されること。
  • 法(のり)とする:模範とする、手本とする。

5. 全体の現代語訳(まとめ)

弟子が、「管仲は君主を覇者にし、晏子は名声ある人物とした。それでも彼らでは王道を行うに足りないのですか?」と尋ねると、孟子は「斉で王道を行うことなど、手のひらを返すように簡単なことだ」と答える。

弟子は混乱し、「文王のような徳のある人物ですら、百年かかっても天下に徳が行き渡らなかった。その後、武王と周公の努力があってようやく実現したのに、先生は簡単だとおっしゃる。では文王は模範にならないというのですか?」と反問する。


6. 解釈と現代的意義

この一節は、以下のような重要な問いを含んでいます:

  • 覇道と王道の違いの強調:管仲・晏子の功績は、形式的には成果を上げたかもしれないが、孟子はそれを「覇者としての成功」であって「王道政治」とは見なしていない。
  • “容易い”王道実現の真意:孟子は「斉では資源も豊富で環境が整っているため、王道を行うのは容易」と理論的に言っているが、それは「やる気と徳さえあれば」という前提である。実際は困難。
  • 理想と現実のギャップをどう捉えるか:弟子の反論は、「理想を簡単に語ることで、偉大な先人の努力を軽視してしまうのでは?」という疑問。これは現代でもよくある問い。

7. ビジネスにおける解釈と適用

「成果の質を問い直せ──覇道ではなく王道を」

短期的な利益(=覇道)を目指すか、信頼と持続性を重んじる経営(=王道)を目指すか。
孟子の指摘は、表面上の成功だけを評価してはならないという厳しいメッセージ。

「“やればできる”の落とし穴」

孟子の「斉を以て王たるは反手のごとし」という言葉は、「条件が整っているなら王道は容易」と読めるが、それは実行力と人格の条件付きであり、弟子のように表層だけを取って「簡単にできるはず」と期待すると現実に失望する。
これは「理想の実現は容易」と語る上司と、「それは現場を知らない空論」と感じる部下の乖離に通じる。

「偉大な先人の努力を軽んじない組織文化を」

文王・武王・周公という三代にわたる継続と積み重ねを、弟子は評価している。企業においても、「一代での成功」ではなく「理念を継承し育てる長期的な視点」が求められる。


8. ビジネス用の心得タイトル

「王道は一朝にはならず──継承と覚悟が偉業を成す」


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