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行為に支配されるな、性質の背後にある真の自己を見よ


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■引用原文(日本語訳)

「見者*が諸要素より他に行為者を認めず、また諸要素より高いものを知る時、彼は私の状態*に達する。」
(第14章 第19節)
*見者:識別力ある観察者、真の自己(プルシャ、アートマン)を指す
*私の状態:クリシュナ(バガヴァーン)と同等の霊的な境地、束縛からの完全な自由


■逐語訳

真に見極める者(見者)は、行為の背後に別の“行為者”を認めず、
三つのグナ(純質・激質・暗質)の働きによって、すべての行為がなされていると見抜く。
そして、そのグナよりも高次の実在を知ったとき、
その人は、私(神・バガヴァーン)の境地に達する。


■用語解説

  • 見者(draṣṭā):観察する者。執着せず世界を見つめる覚醒した意識。アートマン(真我)を指す。
  • 諸要素(guṇāḥ):自然界の3つの性質=純質・激質・暗質(サットヴァ・ラジャス・タマス)。
  • 行為者(kartā):物事を実行している主体。表面的には“自分”のように思えるが、実際はグナが動かしている。
  • グナより高いもの:プルシャ(純粋意識)、ブラフマン(絶対者)、または神聖な自己存在。
  • 私の状態(mad-bhāvam):神性と一体の境地。執着・迷い・束縛から解き放たれた至高の自由。

■全体の現代語訳(まとめ)

本当の観察者(見者)は、「自分が何かをしている」のではなく、「自然の性質(グナ)が働いている」だけであると理解している。
さらに、そうした性質を超えた次元――永遠不滅なる自己や神聖なる本質――を悟ったとき、
その人は神と同じ自由な状態へと到達する。


■解釈と現代的意義

この節は、非常に深い**「非自己同一化の智慧」**を語っています。
私たちは日々、「自分がやっている」「自分のせいだ」「自分が失敗した」と、
あらゆる行為を“自分”という存在に帰属させています。

しかし、ギーターはそれに一線を引き、
「それはグナ(自然の性質)の働きにすぎない」と喝破します。
行為に執着せず、ただ見つめることで、
私たちは真に自由な意識(クリシュナの状態)に到達できるのです。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
自己責任と健全な距離感「すべては自分のせい」と抱え込まず、「これは状況や性質の働きだ」と冷静に見つめる力がメンタルヘルスとリーダーシップを守る。
成果への執着からの脱却成功・失敗を“自己の能力”と直結させすぎると苦しむ。性質の流れを認識し、柔軟に対処できる人が長く活躍できる。
チーム理解の眼差し部下や同僚の行動も、グナ(性質)の表れと理解すれば、批判よりも共感と対応策が生まれる。
俯瞰と自由の獲得日々の業務をこなしながらも、「これは自然の一部だ」と一歩引いた目を持つことで、焦りや混乱に支配されない判断ができる。

■心得まとめ

「行為に巻き込まれるな、ただ“見よ”」
私たちは、何かをしているようでいて、
実は“性質”に突き動かされているだけかもしれない。
そこに気づいたとき、人は自分を責めることも、驕ることもなくなる。
そして、行為の向こうにある静かな観察者――
本当の“自分”に出会う。
そのときこそ、人は自由になり、神と同じ境地に達するのだ。


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