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音の美しさに、徳の善さが加わってこそ完全である

孔子は、音楽を単なる美の表現としてではなく、人を教化する力をもった道徳的芸術と考えていた。

古代の聖王・舜(しゅん)の音楽「韶(しょう)」については、「音律の美しさに加え、道徳的にも完全である」と称賛した。
一方で、周の武王(ぶおう)の音楽「武(ぶ)」については、「音としては美しいが、善(ぜん)の面ではやや欠ける」と述べている。

これは、武王が暴君・紂王(ちゅうおう)を倒すために武力を用いたことに、孔子が複雑な思いを抱いていたためだ。

「韶(しょう)を謂(い)う。美(び)を尽(つ)くし、又(また)善(ぜん)を尽くせり。武(ぶ)を謂う。美を尽くせり。未(いま)だ善を尽くさざるなり」

真に人の心を打ち、徳を高める音楽とは、美しさと善が一体となったもの――それが理想の調べである。

目次

原文

子謂韶、盡美矣、又盡善也。謂武、盡美矣、未盡善也。

書き下し文

子(し)、韶(しょう)を謂(い)う。美(び)を尽(つ)くし、又(また)善(ぜん)を尽くせり。
武(ぶ)を謂う。美を尽くせり。未(いま)だ善を尽くさざるなり。

現代語訳(逐語・一文ずつ)

  • 「子、韶を謂う。美を尽くし、また善を尽くせり」
     → 孔子は韶の音楽について言った。「それは美しさを極め、さらに道徳的にも完璧である」
  • 「武を謂う。美を尽くせり。未だ善を尽くさざるなり」
     → 武の音楽についてはこう言った。「美しさはあるが、道徳的にはまだ完全ではない」

用語解説

用語解説
韶(しょう)舜王の時代の音楽。徳治の理想を象徴し、孔子が最も理想的とした礼楽制度の音楽。
武(ぶ)周の武王の時代の音楽。武によって殷を滅ぼした武力的な正義の勝利を象徴。
美(び)芸術的な美しさ。音楽の旋律・演出の完成度の高さ。
善(ぜん)道徳的な善。社会や人間を教化する力、倫理的な意味での善。
尽くす極限まで満たすこと、完全であることを示す。

全体の現代語訳(まとめ)

孔子は、韶(舜の時代の音楽)についてこう語った:
「それは美の極みであるだけでなく、道徳的にも完璧な音楽である」

また武(武王の時代の音楽)についてはこう語った:
「音楽としての美しさはあるが、道徳的にはまだ完全ではない」

解釈と現代的意義

この章句では、芸術の価値を“美”と“善”の両面から評価する孔子の思想が表れています。

  • 「韶」は、徳によって天下を治めた舜王の音楽であり、形式の美と精神の徳が完全に調和している理想像です。
  • 「武」は、殷を討って天下を取った周の武王の音楽で、力の正義が背景にあるため、音楽は美しくても“善”の点でやや不足していると見られた。
  • 孔子は、音楽を通して人々の徳を育てることを重視しており、ただ美しいだけでは足りず、人を導く“善”が伴ってこそ理想の音楽であると考えていました。

ビジネスにおける解釈と適用

「“美”だけでは足りない──“善”が伴ってこそ信頼を得る」

  • プレゼン資料・商品デザイン・広告などがいかに美しくても、内容や目的が倫理的・社会的に正しくなければ本物とは言えない
  • 「映える」けれど「誠意がない」施策は、評価されない。

「ブランドや企業文化にも“善”が必要」

  • 響きの良いスローガンや美しい広告よりも、誠実な企業行動・倫理ある製品づくりこそが評価される時代。
  • 顧客や社会に対して“善”を尽くしているかという視点が、ブランド信頼を支える。

「“美と善”の統合が、持続可能な成功を生む」

  • 短期的成果のために“美”を演出するよりも、“善”を根本に据えた上で、美しさを表現する姿勢が、結果的に組織の品格を高める。
  • リーダーの言葉・ビジョンも、「かっこよさ」だけでなく「誠実さ」「人徳」が伴って初めて人の心を動かす。

まとめ

「美しさの先にある、善こそ価値──“韶の調べ”が人の心を導く」

この章句は、「見た目や表面の完成度(美)」と「内面や倫理の完全性(善)」の両立こそが、真の価値を生み出すという孔子の深い思想を語っています。

現代においても、“美”と“善”が両立したプロダクト、行動、リーダーシップこそが、本当に人を惹きつけ、長く信頼される存在となります。

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