―『貞観政要』巻五より:太宗が高句麗の美女を帰国させた理由
🧭 心得
真に人を思うとは、その心の自由と尊厳を守ることである。
貞観十九年、高句麗の王・高蔵とその実権者・泉蓋蘇文が、唐の太宗に対し**「貢女(こうじょ)」として二人の美女を献上**した。
だが太宗は、それを**「容姿の美ではなく、心の痛みを思いやるべきである」**と受け取らず、次のように述べた:
「この二人の女性が、本国に残してきた父母や兄弟と引き離されてしまうことを、私は哀れに思う。
美しさを愛して、心を傷つけるようなことはしたくない。だから、私は彼女たちを受け取らない」。
そして、二人の女性をそのまま帰国させた。
これは、名目的な贈り物や形式よりも、人としての尊厳と絆を重んじた太宗の“徳による統治”の姿勢をよく示すエピソードである。
🏛 出典と原文
貞観十九年、高麗王・高蔵および莫離支・泉蓋蘇文、美女二人を献上す。
太宗、使者に告げて曰く:
「この二人が本国の父母兄弟と引き離されることが哀れである。
たとえその姿かたちが美しくとも、その心を傷つけてまで手元に置くつもりはない」。
そして二人を高句麗に返還した。
🗣 現代語訳(要約)
高句麗からの貢女(美女)を受け取った太宗は、「彼女たちの心の痛みに目をつぶってまで、その美を取ることはできない」として、即座に彼女たちを本国へ帰らせた。
📘 注釈と解説
- 貢女(こうじょ):属国が宗主国に献上する女性。時に外交手段や服属の証として扱われる。
- 高蔵(こうぞう):高句麗第28代の王。名は「高臧」とも書かれる。
- 泉蓋蘇文(せんがいそぶん):高句麗の実権者。強硬な対唐政策で知られ、対立の原因ともなった。
この逸話は、形式的な朝貢や服属のしるしとしての「贈り物」よりも、人間そのものの自由と絆を優先する、太宗の寛大な心を伝えるものです。
🔗 パーマリンク案(英語スラッグ)
beauty-returned-out-of-mercy
(主スラッグ)- 補足案:
heart-before-appearance
/compassion-over-possession
/no-gift-at-the-cost-of-dignity
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